福は内・鬼も内

 日清戦争の予言の実現は周囲の人々を驚かした。「この方は病気直しの神ではない。心直しの神であるぞよ」と宣言しながらも、病人をみれば放っておけない。「なおよ。お道を広げるために祈ってやれ。おかげはやる」と神は言う。不思議にもなおが祈ると難病が治る。噂は広まって次第になおの周辺に信者らしい者が集まってきた。なおの予言や治病能力に目をつけた宗教商売屋たちが、なおを利用しようと近づいてくる。けれど、誰一人として筆先の真意義を理解しようとする者はなかった。彼らの関心の多くは、人類三分になるという立替えの時期待ちと病気直しにすぎない。なおは、その現実にじれた。 そのころ筆先は「この神を判けるみたまは東からあらわれるぞよ」と予告した。なおは東からくるというその人を待ち望んだ。 この神を判ける…正か邪か。自称゛良の金神゛ がはたして世にいう鬼門の悪神であるのか。七殺の崇りのために出口家を不幸のどん底に突き落としたうえ、なおをだまして引きまわす崇り神がその正体なのか。この疑いは折にふれてなおを苦しめずにはおかなかった。筆先はしだいに神自身の経歴を明かしてきれぎれではあるがその昔を物語るようになる。「艮の金神は悪神でありたか、善の神でありたかと申すことが明白にわかりてくるぞよ。いまのうちは、世間から力いっぱい悪く言わしておくぞよ。艮の金神の道は、いまの悪のやり方いたす人民からは悪く申すが、もうしばらくの間であるぞよ。悪くいわれなこの大もうはとうてい成就いたさんから、悪くいわれるほどこの大本はよくなりてくるぞよ」(明治三十二年旧九月十九日)「艮の金神は、むかしからこの世をこしらえた神であるから、世界すみずみのことなにも知りておるぞよ。あまり世がのぼりてさっぱり世が乱れてしもうて、これだけこの世に運否がありてはかわいそうで見ておれんぞよ」(年月日不明)「みろくの世の持ち方でやらねばいかんと艮の金神が万の神に申したら、そのようなやり方では他の神がようつとめんと皆がもくろみて大神様へ御願をなされば、大勢と一人はかえられん、艮の金神押込めいと大神様の御命令で此方は艮に押込められて蔭から守護致しておりたなれど、此方が申した世がまいりきて今の体裁」(明治三十八年旧四月二十六日)「炒豆が生えたら出してあげると申して、三千年あまりておしこめられておりたなれど、この神を世に出すことはせんつもりでたたきつぶして、はらわたは正月の雑煮にいたし、骨は二十日の骨正月に焼いて食われ、からだの筋は盆にそうめんにたとえてゆでて食われたぞよ。そうしられてもこたえんこの方、化けて世界を守護いたしておりたぞよ。 悪神祟り神と世界の人民にいわれて悪に見せて善ばかりを守護いたしておりたのが分かりてきて、元のおん役、三千世界をかまう世がまいりたのざ」(明治三十五年旧九月二日)「年越しの夜に煎豆をいたして、鬼は外、福は内ともうして、鬼神にいたして、この方を押しこめなされたのが、時節がまいりて、煎豆に花が咲く世がまいりたぞよ」(明治三十五年旧十月二日) 「正月の三ケ日の雑煮の名をかえさすぞよ。この艮の金神を鬼神といたして鬼は家へは入れんと申して十四日のどんどにも鬼の目はじきと申して、竹を割りて家のぐるりに立ててあろうがな。そこまでしられた艮の金神」(明治三十七年一月二日) この神が、元の名をあかすのはだいぶあとになる。「艮の金神が もとのクニトコタチノミコト(国常立尊)であるから、 このもとの生神が世界へあっぱれあらわれるぞよ」(明治四十二年旧正月十日) 「日本は艮の神国であるから、元のまことの守護神を艮の金神と申したが、これから天地の守護にかかるから、天地は今までとは何かのことが大変わりいたすぞよ。天にありては大クニトコタチノミコトと申すぞよ。地を守護いたす時はクニトコタチノコトであるぞよ」(明治四十三年旧四月十五日) やがて登場する東からくる人…のちの出口王仁三郎の『霊界物語』(全八十一巻)などによって、この筆先の語る独自の神話の荒筋は、きめこまかに明かされていく。むろん、ここでいう神話は文学的観点に立つものでなく、手ぎわよく論理化された思想のたぐいでもない。一見、荒唐無稽と押しやられがちだが、ここではそのあらましを虚心に開いていただきたい。 『古事記』によればクニトコタチノミコトとはアメノトコタチノ神についであらわれ、別天神(ことあまつかみ)五柱の中には入れず、神代七代の国津神の第一神として地を神格化したとある。『日本書紀』では冒頭に位置づけ、造化三神および神代七代の第一神としている。 大本では天地剖判のはじめより宇宙を修理固成し、大地の世界を拓いた祖神として、国祖と称える。国祖クニトコタチノ大神は神に代わって地上自然界を統一し、経綸すべきものとして、有限の肉体のうつわに無限の水火(いき)の霊魂をみたして霊止(人間)となし、陰陽二人を始祖として地上に下す。     神代の昔は神人ともに自立して霊と体を統べ調和させて善美の世を楽しんでいた。人類は生まれ、ふえ、やがて地上に満ちる。しかし燃ゆる炎の末からも微かに立ち上る煤(すす)があるように、体的欲望が霊をおさえて邪気を発し、時とともに地上界は混濁していく。神の生宮として創られた人間も、人智にたけ情はねじけ私利私欲のために争うことをはばからぬ。邪気は邪気を呼んで天地間にたちふさがり、神界よりの水火をはばんで、もはや神と人、天と地のまつりは断絶した。この乱れに乱れた神界、地上界を持ち直すため国祖は肝胆を砕いて゛天地の律法゛を定め、まず地上神界から実行して天下万民にひろめようとする。  けれども八百万の神々にとって天地の律法は窮屈でならず、その戒律を厳としてゆるめぬ国祖が邪魔になってならない。そこで神々は天の大神に国祖の非をならして直訴した。 彼らの激しい不満は天の大神といえども制止しきれず、国祖に向かって「少しく緩和的神政をするよう」説得した。妻神トヨクモヌノ大神も「時代の趨勢に順応する神政を」と涙とともに諌言した。それでも至正、至直、至厳なる国祖は律法を軽々しく改変すべきではないとして聞き入れない。 天の大神は国祖の主張を当然としながら「万神に一神は変えられず」と、涙をのんで隠退を命じられた。天の大神のつらい心情を察し、国祖は千座の置戸を負って根底の国へ落ちゆく決意をする。 天の大神は「貴神が隠退すれば地上神界の乱れはつのり、やがては泥海となって滅びる事態に至ろう。一陽来復の時を待って貴神を再び地上神界の主権神に任じ、三千世界を立替えて元の神代に立直そう。貴神だけに苦労はかけさせぬ。時至らば吾もまた天より下って、貴神の神業を補佐しよう」と約束なされた。 ここに国祖は神議りに議られ、惨酷なる処刑を甘んじて受け、節分の日に艮の地(日本)に押しこめられてしまった。万神は国祖の威霊が再び出現するのを恐れて七五三縄(しめなわ)を張りめぐらし、 「煎豆に花が咲くまで出てくるな」と呪いの言葉を投げかけた。トヨクモヌノ大神は夫神に殉じて、みずから坤へ隠退する。国祖に従い天地の律法を守った正しき天使たちは神々に弾劾されて世に落ち、長い星霜を放浪う身となる。 それ以来押しこめた側の神々はクニトコタチノ大神を艮(うしとら)の金神、トヨクモヌノ大神を坤(ヒツジサル)の金神と呼び、二神を鬼門・裏鬼門の悪神、崇り神として世人に喧伝(けんげん)し、それで足りずに調伏の行事は今日まで続く。日本の神事、仏事、五節の祭礼のすべては艮の金神調伏の儀式であった。 古伝にいう牛頭(ごず)天王に滅ぼされた巨旦(こたん)大王とは艮の金神のいわれであって、正月元旦の赤白の鏡餅は巨旦が骨肉なり、竹を削いだる門松は巨旦の墓標なり、三月三日の蓬莱(ほうらい)の草び餅は巨旦の皮膚なり、五月五日の菖蒲のちまきは巨旦が鬢髪(びんばつ)なり、七月七日の小麦のそうめんは巨旦が筋なり、九月九日の黄菊の酒水は巨旦が血汐なり、また鞠(まり)は巨旦の頭なり、弓の的は巨旦の眼なり。 節分には巨旦の鬼の眼突きと称して柊(ひいらぎ)の針を戸壁に刺しかざし、巨旦の頭を梟(きょう)すべく、鰯の頭を串刺して門戸に挿し鬼の眼潰しといって煎豆を年男に撒かせた。 こうして古代から日本の人民は上下こぞって国祖を呪詛し、その身魂の再出現を恐れてきたのだ。押しこめた側の支配する天下は神なきものとして、形ばかりの宮は荒れ、まつりを怠り、律法は遠く忘れ去られた。利己主義と強い者勝ちの地上世界は弱肉強食がまかり通って、人類は殺し合わなくても、神々や人々の生み出した邪気で天地は汚濁し、滅亡してしまうことになる。 そこで天運循環して明治二十五年節分の日、天の大神の命によってクニトコタチノ大神が因縁の身魂出口なおの肉体を機関として再び出現し、三千世界の立替え立直しの大神業を遂行することになった。 大本では艮の金神が押しこめられたのも再現したのも節分の日であることから、節分の大祭にとりわけ深い意義を感じ、厳粛に祭典を執行する。豆まきの行事も 「福は内、鬼(艮の金神)も内」と唱和して、煎豆の代わりに生豆をまく。 ひろった人はその生豆を大地にまいて収穫をあげ、天地のめぐみを感謝している。