神秘の方舟

 日本が世界の雛型などという発想は一種のナショナリズムではないかとの拒否反応が起こるであろう。けれど無心に世界地図を眺めれば、日本の国土そのものが配置さえ変えれば世界の五大州の縮図となって見えてきはしないか。『大本神歌』で王仁三郎はうたう。「日出ずる国の日の本は、全く世界の雛型ぞ、わが九州はアフリカに、北海道は北米に、台湾島は南米に、四国の島は濠州に、わが本州は広くして、欧亜大陸そのままの、地形を止むるも千早ぶる、神代の古き昔より、深き神誓の在すなり」日本は五つの島から成り立つが、世界も五大州からできており、 (北海道-北米)・(本州-欧亜大陸)・(四国-濠州)・(九州-アフリカ)・(台湾-南米)の関係はさらに別図のごとく地形はもちろん主要な山脈・河川などの地勢にいたるまで合わせ鏡のように対照的である。 「日本は世界の胞衣(えな)であり、雛型であり、世界の要である」と王仁三郎は示すが、世界の海流・気流の状況からも推察できる。その日本の型は大本で出すと神はいう。幾つかの実例はすでに示したとおりであるが、「毛筋の横幅ほどもちがわんぞよ」と神が予告する実例が日本と大本の立替え立直し、第二次大本事件と第二次世界大戦(太平洋戦争)の関係に現われてくる。昭和六年九月八日に王仁三郎が本宮山に三基の歌碑を建立し「これから十日後に大きな事件がおき、世界的に発展する」と語った。十日後の九月十八日に満州事変が勃発し、世界戦への口火を切ったことはすでに書いた。それから日本の敗戦までの十五年間、日本は戦争の泥海にあえぐわけだが、十五という数は古来『洛書』の数としてその神秘を伝えられる。古く中国で禹(う)が水を治めたとき、洛水(中国の・河南両省を流れる河)にあらわれた神亀の背にあったという九つの模様で、天下を治める大法とされた『洪範九畴(こうはんきゅうちゅう)』(書経の洪範に記された、南の政治道徳の九原則)の基となったとされる。別図のように、洛書の数は縦・横・対角線、いずれの方面より数えてもその和が十五になる。ところで世間に伝えられてもいるように、この十五の数がどうも重大な戦争とかかわりが深そうだ。国難といわれた弘安四年の元寇の役は皇紀一九四一年辛巳(かのとみ)の年であり、同じく大国難の昭和十六年の太平洋戦争は西暦一九四一年辛巳の年でその和はともに十五である。日露戦争の終結は一九〇五年、第一次世界大戦の勃発は一九一四年、朝鮮事変は一九五〇年に起こり、いずれも和は十五である。日露戦争・第一次・第二次世界大戦・朝鮮戦争の年号の総和は七七一〇でこの和も十五となる。新暦と旧暦ともに不思議な因果関係があるようで、日中戦争の発端となる盧溝橋での日中両軍の衝突は昭和十二年七月七日、これが支那事変・太平洋戦争へと発展したが、ポツダム宣言受諾の通告が発せられ戦争が終結したのが、昭和二十年八月十四日、旧暦七月七である。新暦の七月七日に始まった戦争が旧暦七月七日に終止符を打った。ポツダム宣言は昭和二十年七月二十六日にトルーマン・チャーチル・スターリンの米・英・ソ巨頭がポツダムに会談して宣言を発し、日本に無条件降伏を勧告したものだが、東京湾頭、ミズーリ号艦上で降伏条約の調印をしたのが九月二日、旧暦の七月二十六日である。いずれも新暦を表とし同日の旧暦を裏に終止をなしている。大本であらわれる事柄は、新暦は現界、旧暦は神界に関する出来事が多いようである.ところで、第二次大本事件のおもな出来事は、日時から場所・状況にいたるまで、ぴったり六年後に第二次世界大戦となって移されていくのだ。昭和九年七月二十二日、前述のように大本は東京九段の軍人会館で昭和神聖会の発会式をあげ、その勢力の激しさが当局を刺戟して大本事件の直接の端緒をつくるのだが、まる六年後の昭和十五年七月二十二日、第二次近衛内閣が組閣される。昭和神聖会統管の王仁三郎は副統管に日本右翼運動の草分けであり黒竜会の創始者・内田良平をすえたが、近衛文麿は陸相に東条英機をすえた。九月には日・独・伊軍事同盟を結び、十月には新体制運動を推進するため、国民統制組織である大政翼賛会を創立する。この大政翼賛会の発会式が昭和神聖会と場所も同じ九段の軍人会館で開かれ、その形式、その後の活動状況まで酷似している。昭和十年十二月八日未明、第二次大本事件が起こり、まる六年後の昭和十六年十二月八日未明、第二次世界大戦が起こる。決死の特高隊は水盃をして松江の゜宍道湖゜ のほとり赤山の高台にある島根別院に滞泊中の大本の「首領」王仁三郎を奇襲攻撃し、決死の特攻隊は水盃をしてハワイの真珠湾に停泊中のアメリカ・太平洋艦隊「主力」に奇襲攻撃を加える。昭和十一年三月十三日金曜日、林司法大臣の決裁があり、即日在京の徳永地方検事正から起訴命令が発せられ、ついに大本・人類愛善会・昭和神聖会の解散となって王仁三郎に重い十字架を負わしめた。この三月十三日金曜日はむかしキリストがゴルゴダで十字架を負った日といわれる。昭和十一年四月十八日に綾部・亀岡両聖地はその所有権が綾部・亀岡町に移り、やがて両本部はもとより、全国にわたる施設は残るくまなく破壊されるが、丸六年後の昭和十七年四月十八日は、米陸軍機十六機が東京・名古屋・神戸などを初空襲、やがて日本全国にわたる主要建物は米機によって破壊焼尽、伊勢皇大神宮、天皇のいます宮城すら例外ではなどかった。東京や宮城へ攻めかけるのは大本ではなく外国なのだと庄司裁判長もこの期になって悟ってくれたであろうか。昭和十七年八月七日、王仁三郎が保釈されるや、「わしが出た今日から日本は負けはじめや」と責付出獄の身で、しようこりもなく放言するが、ちょうどこの日、米海兵一個師団がソロモン群島のツラギおよびガダルカナル島に上陸、第一次ソロモン海戦がおこなわれ、米軍の本格的反撃が開始された。昭和二十年九月八日、大本は大審院において無罪の判決をうけ十年にわたる事件もようやく幕となったが、丸六年後の昭和二十六年九月八日、サンフランシスコにおいて講和条約が結ばれ、第二次世界大戦の幕を閉じた。第二次大本事件と第二次世界大戦の起こった十二月八日未明は、むかし釈迦が菩提樹の下で暁天の明星を仰いで大覚成道したという、いわば仏教の誕生日にあたる。大本事件の解決した昭和二十年九月八日のこの日、マッカーサー元帥が騎兵八千その他合計一万五千の兵をひきいて入京し、日本全土が建国以来はじめて外国軍の占領治下に入る。「九月八日のこの仕組」という筆先は大本にとってこの日が特に意義深いことを告げている。筆先の謎のような言葉には十二通りの意味があると王仁三郎がいうが、その一つの意味として五月五日は菖蒲の節句、九月九日は菊の節句、 「六菖十菊」といって六日の菖蒲、十日の菊は後の祭りだが、九月八日はそれに先立つこと一日、何事も世の中の先端を切り前つ前つに知らせるのが大本という神意がこめられている。王仁三郎が獄中に囚われていた期間は事件勃発の昭和十年十二月八日より昭和十七年八月七日の保釈出所まで六年八カ月、日本が連合軍の占領下にあったのは、昭和二十年八月二十八日に連合軍先発隊が厚木飛行場に到着してより日米講和条約発効前日の昭和二十七年四月二十七日まで六年八カ月、どちらも閏年が二回入ってともに二千四百三十五日ぴったり一日として狂わない。まさに「毛筋の横幅ほども狂わぬぞよ」だ。大本事件は昭和十年十二月八日に始まり、昭和二十年九月八日の大審院判決で解決、第二次世界大戦は昭和十六年十二月八日に始まり、昭和二十六年九月八日のサンフランシスコ講和条約によって終わる。この期間もともに九年九カ月。「数運は天運と相合す」「尋仁は化生の大責を負う者…」の道院の壇訓をいやでもまた思い起こさずにはいられない。

 王仁三郎は事件の損害賠償権を放棄したが、連合国もまた賠償権を放棄し綾部・亀岡の両聖地は大本に無条件返還されたが、連合国もまた日本の本土を分断することなく無併合に終わらせている。さて、これらは一体どう考えたらよいのであろう。どうやって誰がこんなに辻つまを合わせたものか。超能力者王仁三郎が、六年後に起こる第二次世界大戦を始めから終わりまで霊視していたとしても、そのとおりに真似て型をつくれるだるぅか。どんなに大本信者を使ってがんばってみたとて、事件の始まりから日本の敗戦までをも一日も狂わせず一人で牛耳るわけにはいかない。いやいや彼はその間、彼のいう「へソを上に向けて」地のオリオン星座(牢獄(ひとや))に囚われていただけなのである。では誰が、他に誰が?

 数の神秘のついでに『いろは歌』の玄妙にもふれておこう。『いろは歌』は弘法大師の作と伝えられ(実は平安中期の作らしい)、釈尊最後の説法である涅槃経第十三聖行品の偈(げ)(経・論などの中に、詩の形で仏徳を讃嘆し、教理を述べたもの)である「諸行無常、是生減法(ぜしょうめっぽう)、生滅滅己(しょうめつめっき)、寂滅為楽(じゃくめついらく)」を音の異なる仮名四十七文字を使って歌に訳したもの。「色は匂(にほ)へど散りぬるを我が世誰(たれ)ぞ常ならむ有為(うひ)の奥山今日(けふ)越えて浅き夢見しゑひもせず」、キリストの十字架を連想させる。これにヒントを得てキリストの贖罪を証明しようとしたのが、酒井勝軍(キリスト研究家)である。そこで第一行の隔字を読み、イハホを得た。イハホ゛巌の意味で、キリストの別名であり「厳(いはほ)利(とか)なくし死す」とキリストの十字架を暗示していることを知った。しかし酒井はこれで満足せず、『ヨハネ黙示録』の「今いまし、昔いまし、後きたり給う主なる全能の神いひ給う。『我はアルファ(首先)なりオメガ(末尾)なり』の言葉から゛イロハのはじめと末を見てイとスを得てイエスの輪郭に気づく。そこでエを求めると。第五行目の下部にあり、三十三字目(イから数えると三十四字目にあたるが、イとスはすでに使用中なので数えず)でエとスの問に十二字残る。つまりいろは゛ 全体をエで二分すると、前半三十三はキリストの生涯を現わす年となり、後半十二はキリストの使徒の数となる。この両者によりてキリストは完成されたと説く。

 さらにヘブライ学者左近義弼(さこんよしすけ)は次の神秘を発見する。゛いろは歌゛ の上の列を左へ読み進むと「イチヨラヤアエ」を得る。「イチヨラ」はヘブライ語のイイチィ(出で往かしむ)、オオラア(燔祭・はんさい)二語を続け読みしたもので、ヤアエはヘブライ語で神となるそこで「イチヨラヤアエ」とは神が燔祭(古代ユダヤ教で、祭壇に供えられた動物を焼いて神に捧げたこと)礼拝者の生命が神に捧げられたことを表象) たるイエスをこの世に来らしむ」という意味になる。そこで゜いろは歌゛ の上列と下列を通読すると神が十字架をおうべきキリストをこの世にきたらしめ、キリストはその聖約のまにまに科なくて死んだ」となる。

 ところが、土井靖都はいろは歌こそ王仁三郎が再臨のキリストである証明だという。

いろはには酒井氏の説のように七・十二・三十三という数字が現われるが、これらの数字はみな王仁三郎に密接な関係がある。王仁三郎は旧七月十二日に生まれた。七は大本では地成と記し十二は元来完成数である。三十三は瑞のみたまの因縁の数、昭和三年三月三日は王仁三郎五十六歳七カ月、みろく下生の日であって、それまでの準備時代を終えた日となる。

大本神諭には「いろは四十八文字の仕組」、「いろは四十八のみたま」などとある。つまり゛いろは歌゛は四十七文字であるが、四十八文字の仕組には「ん」がなければならぬ。仏教でも阿吽(あうん)といい、金剛力士の仁王も吽のほうはロをとざして力を入れている。

「元禄四十七義士でも十字架上で死んだキ-ストでも、四十七文字の仕組で゛ン゛ ()がなかった。四十八文字目の吽(うん)の金剛力でわしは死なんのじゃ」と王仁三郎は言っていた。「ん」は打消しの言葉で、死すを打消し「死なん」にする。綾部での迫害時代でも、蒙古のパインタラでの銃殺刑寸前でも、危ういところを王仁三郎は救われている。大本事件も、大審院まで上告したのは王仁三郎夫妻を除いて四十八名、ところが講和条約調印国も日本を除いて何と四十八カ国。「今度はいろは四十八の生魂の仕組、吽の金剛力が大丈夫だ」と大本被告四十八士は最後の勝利を信じていたが、四十八連合国にもまさに゛吽゜ がつく。これまた神の仕組んだ゛型゛だったのか…?

「太初(はじめ)に言(ことば)あり言は神とともにあり、言は神なりき-・・・」

ヨハネ伝にもこう讃えている言霊の玄妙さを証するためには、五十音の秘奥もまた探ってみねば片手落ちだ。王仁三郎神歌゛いろは歌゛(大正六年十一月三日記)の中で言霊学的なくわしい解釈をしているが、要点だけを述べよう。

 「…ノアの言霊ナと返り、ナオの言霊ノと返る。ノアとナオとの方舟の真中に住みきるスの御霊、すめら御国のすがたなり…」

五十音のアからノまでを図のように五文字ずつ区切って配列すると二十五声の正方形、方舟の型を成す。それぞれの行と列は世界の五大州をあらわす。終わりと始めを結ぶと「ノア」、言霊学上霊返しの法則によると、ノアの言霊はナオに返る。

二十五声の言霊は「ノア」であり、「ナオ(出口なお)」となる方舟をつくる。「ノ・ア」と「ナ・オ」の交差点が「ス」、 スは言霊学上◎。この世の太初の言霊であり、七十五声がおさまる時もまたスの一声に帰す。スは天地いっさいを統べ給う主神を顕す。

 スの言霊を正中に納めたこのノア・ナオの救いの方舟は大本の権威を証明する一例として大正六年以来、語りつがれてきた。けれどことなく私にはもの足りない。救いの方舟に主神とノア・開祖なおが在ませども、救い主たるキリスト・王仁三郎は不在なのだ。なぜ王仁三郎は、いろは神歌の方舟の中にかんじんの救い主たるあかしを説かぬ。この稿を書きすすむにつれて、私の不満は嵩じ、ついには筆を投げて方舟の図をにらみつけた。すると、幾つかの音声があぶり出しのように浮き上がり、聞こえてくる。

ア行のイとエの言霊が中央のス神と合してイエスと鳴りわたる。しかもイエスの三声を結ぶ二等辺三角形の中をつらぬくのは主神より発するスクウの三声。そうか、救うの神命を負ってここにイエスが在る。けれどまだ私は不満だ。これでは方舟は右に片寄りすぎてひっくり返る。それに五大州の四分の一にもみたぬ救いではまだ足りない。方舟の左へイエスと対称する形を移してみると、主神一つを抱いてテクチの三声、ス神の左右 ツ・クの言霊と合すると、「出口・つくす」と鳴りわたる。

さらにナオの言霊をアに返して合すると「アナオ」と鳴って、主神を要に五大州の上半分を開く大三角形を現ずるのだ。アナオは穴太、すでに読者もご承知の王仁三郎の生まれ故郷。そして、王仁三郎が神・幽・顕界の秘奥を探って救世の神示を得たという霊山高熊山の地なのである。

しかしこれらのすべてを打ち消すほどの驚きに私は震えだしていた.救いのナオの方舟の主は在すではないか、厳然とここに、救いのみ手を広げてスサノオノ命は在すではないか。◎の神が天にかけ上ってサと鳴り、さらに地に下ってノからオへ五大州のすみからすみまで一文字に開いていく形である。スサノオを主神を要に結んでいけば、大地にふんばって立つ巨大な人型。方舟の天地四隅で囲めば囚の字、スサノオノ命の千座の置戸であり王仁三郎の宿命を負うオリオン星座の姿である。

この二十五声を組み合わせて、ほかにも意味のある言葉を探すことはできる。しかし例えばイ列にはスの頭上をおおってチシキの文字が浮かぶ。

ス・キ・チ逆三角形の中央を結ぶと不吉な「死す」が出る。「神と学との力らべであるぞよ。神には勝てんぞよ」の筆先があるが、ス神より発しない知識はやがて滅びるのであろうか。主神()に発するか、主神を要に抱いた二等辺三角形でなければ方舟の証しとはならぬ。

大声耳裡(じり)に入らず、鳴り鳴りて鳴りやまざる宇宙の大言霊が今こそ私の五体のうちに轟く思いであった。王仁三郎死して三十年(今年六四年)、救いの方舟の形を示されてから六十一(九五)年が過ぎている。その深奥を悟れず証せなかった年月はあまりにも長い。後になればコロンブスの卵だが、大本にはまだまだ埋もれたままの真実がどれだけ発掘を待っているかわからない。