岩戸を閉じる役割

  奇妙キテレツなのは喜三郎の立場であろう。結婚間なしに筆先が出る。「綾部の大本には出口なおの大気違いがあらわれて、化かしてご用がいたさしてあるから見当はとれんなれど、もう 一人の大化物をあらわせて、神界のご用をいたさすぞよ。 この大化物は東からきておるぞよ。この大化物があらわれてこんと何もわからんぞよ」(明治三十三年旧正月七日) どうやら西の大気違い、東の大化物と神の綱をかけられた二横綱が綾部大本の土俵上に引き出された感じである。「出口と上田どのの身魂は因縁のある身魂であるから、めずらしきことをいたさすぞよ。この変性男子、上田どのの変性女子と、二人の因縁がわかりてきたら世界がうなるぞよ」(明治三十三年旧正月十五日) 変性男子とは何をいうのであろうか。仏教用語では゛変成゛ という表現になっていて、もともと女人成仏を肯定しない仏教の立場上、女性のままでは永遠に救われぬため、いったん男性に身を変えて成仏させるという方便的発想を変生(成)男子と称した。 大本の場合はまったく違い、字も変性となっていて神界の都合で男子の魂を女体に宿した者を変性男子、逆に女子の魂を男体に宿した者を変性女子という。 さらに「初発(しょっぱつ)に艮の金神が出口にあらわれて、この世の守護いたすぞよ。つぎに坤の金神が変性女子とあらわれるぞよ。女子が男子に化(な)りて化けておらねばでけんゆえ、化けて守護いたしたぞよ」(明治三十三年旧四月七日)。 変性男子・出口なおには艮の鬼門の金神クニトコタチノ大神、変性女子喜三郎には坤の裏鬼門の金神、トヨクモヌノ大神がかかるという。喜三郎はなおの末娘すみの婿であるから現界的には親子となるが、かかっている神霊同士は夫婦という不思議な因縁になる。夫神に殉じてみずから坤に退隠されたほどの妻神だから、この夫婦が三千年ぶり仲良く寄りそうてくれたなら大本の中は万万歳と信者たちは喜ぶのだ、なかなかどうしてそうはいかない。 坤の金神のかかる大切な肉体と予言される喜三郎の現実は、やんちゃ神・小松林命が占領していてことごとになおに楯つくのである。 「小松林の守護の間はみなが心配をいたすなれど、スサノオノ命の分身魂で、スサノオノ命の役で、二度目の天の岩戸を閉める、敵対うおん役ざぞよ」(明治三十五年旧八月二十一日) 「こんどの大本の男子、女子のご用は二度目の天の岩戸を女子が閉めるおん役であるからつらい役、小松林がスサノオノ命のおん役ざ」(明治三十五年旧八月二十七日) では゛二度目の天の岩戸゛ とは何…。 ロケットが月や火星にとどく時代にたわけたことをと怒られるであろう。が、当時の大本は喜三郎の持ち込んだ幽斎修業によって信者たちにかかる曲津神、眷族、守護神、副守護神、天狗たち種々の動物霊などがつぎつぎ名乗りをあげ、親しみをこめて会話する。まさに神々の生きる別天地。地の高天原。他人から見ればめずらしい゛気違い集団゛であったろう。  お筆先以前にもなおは「お大将」のような男声で雄(おたけ)んでいる。 「世界国々所々に世の立替を知らす神柱は沢山現われるぞよ。大方行き渡りた時分に綾部へ諸国の守護神を集めて、それぞれの御用を申付ける尊い世の竜門舘の高天原であるぞよ」  いまこの高天原という土俵上に引っばりあげる役者たちに、 「めずらしきこといたさすぞよ」とあるのは、まさか、あの『古事記』の世界の天の岩戸の故事をもう一度くり返させようと? ここで時代をぐんと逆のぼって読者には恐縮であるが、どうでも『古事記』と付き合っていただかねばこの先の大本・筆先の世界はわからない。国祖・艮の金神の御隠退前後ははるかに『古事記』以前をさしていると思ってよい。すなわち高天原の物語である。 古事記、それも上巻など゛記・紀゛ 神話は、かつての大日本帝国の国家権力を飾る道具立てにすぎなかったという、われわれには苦い思い出がある。それをのぞけば昔々のお伽話ですましてもたいした関わりもなさそうに思えるのだが 。 それにしてもあの『古事記』の雄揮な言霊、格調高いしらべ、生命力のみなぎりわたる文脈… 尋常のものではない。筆先に二度めの天の岩戸とあるのはもちろん、一度めがあってのこと。最初にあたる天の岩戸開きのくだりを思い出していただくために、その原因となるあたりから『古事記』を探ってみよう。 神代の昔、イザナギノ命は御子生みの終(はて)に「三はしらの貴き子を得つ」とよろこばれた。アマテラス大神には゛高天原゛ を、ツキヨミノ命には゛夜の食国(おすくに)゛を、スサノオノ命には゛海原゛ (陸を含めた地球上)を治めよと委任された。しかしスサノオノ命は 「八拳髯 (やつかひげ)心(むね)の前(さき)に至るまで哭(な)いていた。そのため、地上には万の妖(わざわい)が起こってくる。父神はその哭くわけを問われた。 スサノオノ命は何の弁解もされずにただ、「母の国、根の堅州国に罷らむと欲(おも)う。故哭(な)くなり」と答える。父神は御立腹のあまり「しからば汝はこの国に住むべからず」と追放された。「然らば天照大神に話して罷(まか)らむ」と、スサノオノ命が天に参上るとき、山川悉に動(どよ)み国土は震れた。  驚かれたアマテラス大神は「我がなせの命の上り来る由は、必ず善き心ならじ。我国を奪はむと欲(おも)うにこそ」とただちに男装され、勇ましく戦いの用意をして「伊都の男健(おたけびび踏み健びて」待ち、 「何故上り来つる」と問われた。スサノオノ命は「僕(あ)は邪(きたな)き心無し」と父神との事情を告げ「異心なし」と申し開いたが、「しからば汝の心の清く明きはいかにして知らむ」と謀叛心のない証拠を求められた。     スサノオノ命は答えて「各宇気比(おのもおのもうけい)て子生まむ」…ここに二神は天安河を中にして誓約をなさる。まずアマテラス大神が弟神のはいている゛十握の剣゛ をとって三つに折り天の真名井にすすいで、さがみに噛んで吹き棄つる気吹(いぶき)の狭霧から生まれたのは、三女神。スサノオノ命が姉神の髪にまかれた「みすまるの珠や左右の御手の珠」をとられて同じように噛んで吹き放つと生まれたのは五男神。ここにアマテラス大神は、スサノオノ命に告げる。  「あとに生まれた五柱の男子は私の持っている珠から生まれたから吾が子、先に生まれた三柱の女子は汝の剣から生まれたから汝の子である」と立て分けられた。ここで筆先に現われる男子・女子が思い浮かぶであろう。のちの王仁三郎が説くところによると、女体であるアマテラス大神の霊魂はみたましらべの結果、五柱の男神であった。つまり変性男子、また厳(五男)の御魂。男体のスサノオノ命の霊魂は同じく三柱の女神、つまり変性女子、また瑞(三女)の御魂となる。 スサノオノ命は「我が心清く明し。故(かれ)、我が生める子は手弱女(たおやめ)を得つ。これによりて言さば自ら我勝ちぬ」といって、勝ったあまりに乱暴をなさった。姉神の田の畦(あぜ)をこわし、溝を埋め、糞尿をまき散らす、しかしアマテラス大神は善意に解して弟神をとがめられない。それなのに今度は、姉神の機(はた)を織っている神聖な場所へ生き馬の皮を逆剥ぎにして上からどっと落とし入れた。 驚いたはずみに機織(はたおり)姫が稜(をさ)に陰部(ほと)を刺して亡くなった。アマテラス大神は、あまりの驚きとお怒りに天の岩戸に引きこもって隠れてしまわれる。このため高天原は暗く世の中は闇夜となり果てて、万の神は「五月蝿(さばえ)なすみな萬(わ)き、万の妖(わざわい)ことごとに発(おこ)りき」という次第になった。 ここまでがスサノオノ命の岩戸閉めの役であろう。そこで八百万の神々が天の安河原に集まって思金神(おもいかねのかみ)に知恵を傾けさせる。長嶋鳥を鳴かせ、さかきの枝にみすまるの玉をかけ、鏡をつけ、その下には白や青の布を垂らしておき太祝詞言(ふとのりとごと)を奏上した。 アメノウズメノ命は伏せた桶の上で足を踏みとどろかし、胸乳(むなぢ)もあらわに踊り狂ったので、高天原も揺れるほど神々はともに笑った。アマテラス大神は不思議に思われ、岩戸を細めに開いて中から言われた。 「吾が隠(こも)りますによりて、天の原自ら暗く、また葦原中国(日本)もみなくらけむとおもふを、などてアメノウズメは楽(あそ)びし、また八百万の神、もろもろ咲(わら)ふぞ」 アメノウズメノ命は「汝が命に益(まさ)りて貴き神いますが故に歓喜(えらぎ)あそぶ」と答えた。アマテラス大神は鏡をごらんになって少し戸より出てのぞかれたとき、戸の側に隠れていた天の手力男(たじからおの)神がみ手をとって引き出し布刀玉命(ふとたまのみこと)がしめ縄を張って、「これより内にな還(かえ)りそ」と申し上げた。 アマテラス大神がお出になられたので、この世は明るく照りわたった。ここで八百万の神々はともに議(はかってスサノオノ命に千座の置戸を負わせ、ひげを切り、手足の爪を抜いて追い放ってしまった。 のちの(明治三十八年旧四月二十六日)筆先によると、この一度目の天の岩戸の開き方が艮の金神には気に入らない、筆先はズバリと批判する。「まえの天照大神宮どののおり、岩戸へおはいりになりたのをだまして岩戸を開いたのでありたが、岩戸開くのがうそを申してだまして無理にひっぱり出して、この世は勇みたらよいものと、それからは天の宇受女どののうそが手柄となりて、この世がうそでつくねた世であるから、神にまことがないゆえに人民が悪くなるばかり」 神代の昔からこうしたウソやイツワリで日の大神をだましたうえ、力にまかせて引っぱり出し、それを手柄として自分たちの謀略を省みようともせぬ高天原の万神たち。 神がこうだから神に誠心がないからそれが地上世界へ映って人民が悪くなる。目的さえよければ手段をえらばぬ今の人民のやり方がどれだけ世を乱すもととなっているか。人民ばかりが悪いのではない。神・幽・現界を含めて三千世界を立て直すには、まずその根本を正して遣り直させよう。これがどうやら国祖の御意志らしい。 さすが剛直をもってならしたお方であり、八百万の神々に煙たがられついに艮に押しこまれたというお方だから、その後の岩戸開きはもとより、現界の、ことに上に立つ人々の利己とギマンにはどんなにか我慢ならなかったことであろう。第二の天の岩戸開きは立替え立直しとも共通項によってくくられるものであり、それが相互に内的関連性をもっているといえよう。 役員信者の目からは喜三郎の野放図な言動がまさしく筆先で裏打ちされる悪神小松林命の所作そのものとして映った。喜三郎が筆先の正しい解釈に立とうとし、役員信者たちの頑迷固陋と戦い、教義の具体的な開明化をはかろうとすればするほど、彼らは結束し妨害する。そのうえ、まごころ込めて、こう迫るのである。 「小松林命どの改心して下され。肉体をおいて立ちのいて下され」「おう、去んでやるわい。こんな気違い教団になに未練があろうかい。小松林もつれていくぞ」「肉体は去なされん。小松林がどかんなら…」 彼らはいっせいに肌ぬぎとなり、自分の腹へ小刀を突き立てようとする。本気で切腹しかねない思いつめた目…。彼らにすれば三千世界の立直しのため、喜三郎に一刻も早く坤の金神がかかってほしい純な一念なのだからたまらない。 人間心で心配したなおは神に問うと、神は笑って「このものでなければできぬわいや。ご苦労ながらこの御用、わざとに化かしてあるわいや」 七月四日 なお、王仁三郎、すみら一行は神示によって冠島(おしま)へ。八月二日、沓島(めしま)へ渡る。冠島・沓島は舞鶴から沖へ二十海里、日本海の激浪にもまれる無人の孤島。一行が上陸するだけでも命がけであった。昔からその間の海を竜宮海、沓島を鬼門島とよぶという。「沓島は正真(しょうまつ)の神が、むかしの神代から住まいいたしておるところ、沓島冠島へつれまいりたのは、この世はじまりの、この世開くけっこうな御用でありたぞよ」 冠島・沓島開きによって、いよいよ国祖の神霊が日本の艮沓島から現われたと筆先は告げる。 十月一日、鞍馬(くらま)山へみたまあらためのため出修。翌三十四年四月二十六日、生粋の天の岩戸の産だらいのお水を取りに天津神の故郷元伊勢へ。 七月一日、スサノオノ命の鎮まるところ、国津神大国主命の幽(かく)れる地、出雲へ消えずの御神火をとりに行く。徒歩と舟で往復二十日もかかった。筆先の神示のままに、ただ動かされるなお・王仁三郎・すみらの一行であった。 大本では元伊勢出修を水の御用、出雲出修を火の御用という。アマテラスとスサノオ、天津神と国津神、征服者と被征服者、上に立つ神と世に落としめられた神、 その両者の霊魂を因縁の地から迎えたのだ。 けがれきったこの世を元の水晶のみ世に洗い浄めるには、もっとも強い霊威、清浄カを持つという水と火、神水と神火が必要だったのだ。 出雲の神火を捧げての帰途から、早くもなおと喜三郎の問に激しいやりとりは兆していた。出雲の火は神示によって百日間神前に灯し続けたのち、十五本のローソクに移して灯(とも)しきり、天へかえすが、その間にもなおにはアマテラス大神、喜三郎にはスサノオノ命の神霊がかかり、互いに四股をふみ、雄叫びして、峻烈きわまる言霊戦を演じだした。 「スサノオノ命は害国のやり方、この高天原は筆先で世を開くぞよ。そなたの改心ができぬ故、この世の難渋」となおの神が叫べば、喜三郎の髪がギギイと音を発して逆だち、その体は凄い勢いで天井まで舞い上がり落下する。 「生成化育の神意を知らざる盲(めくら)神、その方こそ目をさませい」「小松林のやり方はたとえていえば新道じゃ。旧道はえらい峠もあるし今はつらいなれど、先の広い誠の道、新道はらくな、うまいことだと思うて行きよると、尻すぼまりであるぞよ。みておざれよ新道へみな行くなれど、元の昔にもどすしぐみがしてあるから、この先へ行く道はどこにもほかにはないぞよ」 ずしんと家中を揺らして二神が昇霊する。この神霊同士の戦いは数年間つづき、本人たちはもちろん役員信者をほとほと困惑させるのだが、大本ではこれを゛火水(かみ)の戦い゛ と称している。 そんなバカなと思うであろう。賢明なる読者は常識を持ち出すまでもなく、本を閉じかねないであろう。それではここで権威ある東西の学者に登場ねがって国家権力の下、本人(王仁三郎)の口から当時を聞き正していただこう。 第一次大本弾圧(後述)は、王仁三郎らが『神霊界』誌上で発表した神諭(筆先)や論文が天皇に対して゛不敬゛ だというのが理由である。一審・二審ともに有罪で法廷のたたかいは大審院にもちこまれた。大正十四年十二月から大審院で事実審理が開始される。  王仁三郎の言動がはたして神霊現象か精神妄想(憑依妄想・宗教妄想)かが公判の争点であった。検事側は京都帝国大学の今村新吉医博に王仁三郎の精神鑑定を依嘱して、おなじく大本側も東京帝国大学の杉田直樹医博に依嘱する。はっきり神霊現象と断じたのは杉田博士であったが、精神妄想を否定した点では両者の見解が一致している。『今村鑑定書』の中で今村博士の憑霊現象に関する質問に王仁三郎は答えている。 霊が初めてかかった時は、私の体にぐっと電気がかかるようにおさえてきました。始めの頃は体がどんどん飛び上がりました。大本の二階で体がとび上がって天井に穴があいた跡がまだ残っております。また下にドッと落ちた所にも穴があいて足跡が残っております。頭をどんどん打ってもどんなにもないのであります。 それから三年というものは綾部にじっとしていても今はだれそれが来るということが判かります。何しに来たか、金を失って来たか、病気で釆たかということがよくわかりました。それだから毎日毎日見てくれと言って何人来たかしれません。天から精霊が内流でかかることもあり、また直接神が来て告げることもあり、のどから「ああせい、こうせい」と言ったりします。あるいは「どういうことがある、ああいうことがある」と言ってくれます。ほとんど芝居の物語を見たようなことが内から出ます。 そのとき精霊の言っていることがみな聞こえていますから、そのとおりに言ったりしたりすれば違わないのであります。それをしなんだらのどを強くつめてきます。目をむくような目にあわされます。ラムネ玉みたような物が腹の中からギューと上がってきます。言うことを開かなければそのとおりして違わせんかと思うと強く責められます。…ついにはスサノオノ命の霊がかかり、そうすると人が豆のように見え、私はこんな腕ですが(と腕を出し)、これがこんなに(と五、六寸の直径の円を示し)大きなものに見えるのです。 おなおさんにはおなおさんの信じた霊(筆者註 当時アマテラス大神の神名を口に出すことをはばかったのであろう)がかかってきてワーッと言います。そうすると両方から議論ばかりするのであります。それがすむと私もおなおさんも肉体はなんともないから、すぐにまた笑いながら仲良くします。 また霊がズッとかかってきて神さまのことを言う。私のは「現界的の神さまだ」というと、おなおさんの神さまは「それはいけない。 ハイカラだからいけない。神そのままのものでなければいけない」という。私の神さまは「現在の人にわかればいい。いろいろと漢語もつかわなければいかん」 そうすると「そんなことでは世の立替えにはならない」と神さま同士が衝突しました。 第二次大本弾圧のときの出口すみの上申書も、当時のことが素朴な調子でいきいきと書かれている。  先生は裏の別荘、教祖は表の二階で筆先を書いておられます。その書いていられる筆先が先生の気にいらぬことばかりでありますので、教祖さんもなるべく筆先を書かぬようにしたいと思われても神さまが承知しられぬので、筆先が出ると役員さんの宅に隠したり、いろいろとしられました。 肉体になられるとどちらもこれぐらい仲の良い親子はなかったし (先生は)「わが親よりもおもしろい親であります」と喜んでおりますが、神がかりになるとどちらも大変な勢いでありました。「スサノオノ命さまが高天原をとりにきた」と言うて荒立たれます。「小松林の神さんが世を乱す、改心せい」とか「スサノオさまも小松林も肉体をおいて帰れ」と大きな声で四股を踏まれますので、その声のおそろしさ、身ぶるいがいたします。 とにかくも「変性女子が改心したら世界がよくなる。一日おくれたら世界が一日困る、二日遅れたら世界が二日困る」と言われるのであります。 また私にもその通り、「変性女子が改心をすれば、すみ子も改心する。半期おくれて次には役員がよくなる。次は信者が改心する。日本が良くなる。次に世界がおうじょう良くなる。早く改心をいたされよ。早く往生をいたされよ」というようなことばかりでありました。 教祖もなんのことやら初めは判らず、「いつになりたらこの戦いはすみますか」と言われると、「もうしばらくである。どちらもご苦労ながらもうしばらく辛抱して下されよ」と言われますそうでございます。「先生、大変な神さまの勢いでしたなあ」「えらい勢いでしたなあ」「これは型どすげなで」「へい、そうですか」というような有様、こんな様子が長いあいだ続きました。「さあ、金神さんの喧嘩聞いてこうかい」と言うて、夏なんかは町の人がたくさん家の周囲に見に、聞きにまいります。私の隣に柿の木がありますが、その木に十人ぐらい登りて聞いておるし、それぐらいでありますから、下にはたくさん見聞きしております。これぐらいかなわんことはありませなんだ。 見に来ています人が「金神さんの喧嘩はなんのことかさっぱりわからんですなあ、帰りましょうかいな」「ふんそうですなあ。外国とか日本とか、いつでもそんなことばかり言うとってじゃ。一向おもしろみがござへんなあ」「さあ、帰のうう帰のう」ぞろぞろとよく来たものでありました。 これだけの戦いをしながらも、「このほうの片腕はこのものでなければできぬのである」と言われました。ずいぶんと反対派(王仁三郎の)がありましたので、教祖にあることないこと突っこみに行きますので、教祖も心配しまして神さまにうかがわれますと「ほほほほ」と笑われるそうでございます。 「この者(王仁三郎)でなければ(立替えは)できぬわいや」と言われるそうでした。 「わざとに化かしてあるわいや」と言われるので目的もつぶれてしまい、こんなことは数限りなく次から次とありました。「先生は(に)他の神はかかられぬようになりまして、坤の金神さまだけになられましたら、この中も世界も治まる」と神さまは言われよったのでございます。「うろつく間(宣教に)はいけぬ。この世が困る」とよく言われますし。それが先生の気に入らずむずかしいことでざいました。「ご苦労ながらこの厭な御用をしてくれなならぬわいや。こんなご苦労な厭な御用をしてくれる者もさせる者もないわいや。これをしてくれねばならぬわいや」と神さまが言われたのでございます。゛世界の型゛とよく話されました。「さるかわりにこの御用を勤め上げたら大将にしてやるわいや。勤め損なったら乞食まで落ちなならん」と言われたこともありました。「世界の奪り合いになる」とも言われました。「わざとに阿呆に化かしてある」とも聞いております。 これからは役員信者が次から次へと反対をして廻りまして、難行苦行をいたしたのでございます。先生を外国(魂)にしてしまいまして、先生の後からどこまでもかげからつき歩きまして、「あの人のことは聞かれぬ。外国でありますでな。ああしてうろうろと出歩きなさるので、教祖さまも困っておんなさるし、神さまも大変お腹立ちですでなあ。もし来てでしたら、ぬけて逃げなされよ」と言うものですから、次から次と信者はへるし、誰も言うことは聞く者はなし、ずいぶん困りた時もきましたのです。 立替えじゃと言いまして昔からの信者の家に参りまして先生の書きました掛軸もみな取り上げて棒で荷うて帰りました。それはみな焼いてしまいました。先生の着ました装束も焼いてしまいました。先生が着て帰りました服も「外国の人だ」と言うて先生の物は持物みな焼きました。 大事な証文も焼きました。外国と日本の戦いであると思うて、私も手伝いました。 こんなこともありました。先生が花の美しいのを植木鉢に楽しみて子を育てるようにして楽しんでおりますと、教祖の気に入らず、見られますと戦いがはじまりますのでどうしたらよかろうかと思案のあげく、湯をわかして根元にかけておきましたら、「ああ、これは教祖のいやな色花を植えた、しなびたのは神さまからであろう」と先生が思うと思ってしなびさしたこともありました。 教祖は梅と松を好みました。教祖の住んでおりました裏には薮があります。雪が降りますと一晩に折れて屋根にさがってきます。それをたいへん嫌いまして「竹はいち年に伸びて雪にあえば一晩に折れてしまう。辛抱のないものは外国」と言うて、たいへんいやがられます。それからというものは竹の箸も使われぬことになりました。「弥勒(みろく)の世になれば賛沢はしられぬ」と言い着物は木綿の着物に紙巻草履、下駄は竹の皮の綯(なの)うたのでありました。 マッチもいっさい使わせぬ。マッチは穢れた物が入っていると誰かに聞かされてからというものは、いっさい使わず、石鹸もいっさい使われず、こうもり傘は外国といいましてさされず、ずいぶん窮屈なことでございました。「なおは一代なにほど結構になりても、木綿着物に晒しの湯巻きで通せ」と一度神さまが言われたのであります。誰がどんな物を持ってきましても見向きもいたしませぬ。熱心な人が来ましてせめて着物の裏だけでも絹の裏を使わせて下さい」と頼んでも許しませぬ。八十三で国替えをいたしました。木綿着物に晒の湯巻き、こうして終わりました。 竹は一年に伸びて一夜の雪で倒れる。苦労なしでは日本魂は貫けぬということを、学問のない田舎者ばかり集っておりましたので、すっくり筆先を丸のみしてしまいました。花もそのとおりでございます。この時分は役員さんが蓑笠きて筆先を背中においまして筆先を読んで歩きました。 教祖さまの筆先を弥仙山、元伊勢、大江山十里四方あちこちと廻りました。それを仕事にしておりました。永い間、あちらこちらの神さまに詣りまして「あなたさまの氏子が日本魂の生粋のまざりのなしの水晶の身魂に立替りまして、世界の鑑となりますよう一心もってお願い申します」と言ってどこまでも詣りますのです。その時の姿の写真もあるはずでございます。この時の写真はやはり蓑笠で頭髪を長くしまして木綿着物に真岡(もおか)の黒の十曜の紋の羽織を着まして、その時分は「世の立替えが来るから食べることのできぬ世の中が来るから、型をする御用をするのだ」と言いまして、山へ行きまして樫の実(ドングリ)を拾い、タンポポ、つちばこ、りょうぶ、嫁菜、せり、なんでもありとあらゆる食べられる物は一切合切。豆の葉の雑炊、これは青くさくて困りました。  家にも一時は一軒の宅に七家族住んでおりました。日本米のご飯はめったにありませなんだ。その時に役場の人が「金神さんの人はみな狂人になりた。道に生えている草まで食べるのか。困ったものができた」というておられたそうであります。その時代は下肥が売れました。五荷が五銭に売れましたのに、 「あなたの肥はよそ並ではいやですよ。そのほど効きませぬ」と言いました。樫の実に草々を取り集めて「こういう時代が来る」と言われました・・・(昭和十六年八月二十三日大阪控訴院へ提出の一部)