国家による審神

 神の啓示によってなされた大本の二大教典が二度にわたって国家権力に裁かれた。いわば国家が前後十年をかけて大本神を審神したのである。その最終結果は「無罪」であったが、同時に裁いた国家権力は外から裁かれて「有罪」となり地に落ちた。省みれば、大本事件とはいったい何によって起きたのたろうか。大別すれば三つの見方に分かれそうだ。『誤解説』 大本神諭や霊界物語、大正日日新開や昭和神聖会運動などが当局の誤解を受けて起きた事件とする説である。しかし私はそれはとらない。誤解とするならむしろ゛故意説″とするべきだと思う。たとえば、不敬の一点となった王仁三郎の歌 「日の光り昔もいまも変らねど大内山にかかる黒雲」にしても、日はかわらないのだから天皇そのものでなく、黒雲は明らかに日をおおう重臣などのあり方を批判したものであろう。それを大正天皇への不敬と強いるのは誤解ではなく故意としか言いようがない。昭和三年三月三日のみろく大祭後、王仁三郎がりんごを三つとり、すみには大根と頭芋、十八人の幹部には頭芋を一つずつ与えたことが陰謀の密意を伝えた証拠だなど、よほどの故意でなければこんなアホらしい解釈はできまい。しかしこれは現実であって、しかも死刑になるか否かがこの問答いかんにかかっているのだ.。一審での庄司裁判長と王仁三郎との息づまる対決は? その行方は?「昭和三年三月三日のみろく大祭の祝詞奏上の後で、お前は『万代の常夜の闇も明けはなれみろく三会のあかつき清し』という歌を詠んだそうではないか」「ハア詠みました」「みろく三会とは天のみろく・地のみろく・人のみろく、この三つが一つになるということだそうだネ」「さようです」「この歌によると、地球上でお前が一番偉いという意味になるのではないか」「それは、私の宗教上の悟りです。宗教上の悟りを法律上で解釈されては叶いません。釈迦でも天上天下、唯我独尊と言うているが、宗教を開く者はそれ位の悟りの自覚がなくては、宗教が開けるはずのものでないと思うとります。私は別に悪いと思うていません」「それから祭典の後で、お下りを皆にわけてやったそうだネ。第一番にお前がりんごを三つ取ったというじゃないか」「ハア」「お前はかねて『日地月合せて作る串だんご、星の胡麻かけ喰う王仁口』という歌を詠んで信者に披露しているというじゃないか」「その通りです」「その歌とりんご三つ取ったことを考え合わしたら、妙なことに解釈できんかネ」「何も妙な解釈はできんと思います。あの歌も私の悟りの境地を詠んだのです。りんご三つですから、三リンということになります。三リンとは仏の教の十善戒のことで、身輪、ロ輪、意輪で三輪といいます。身輪とは身体の戒律で、不愉盗戒、不殺生戒、不邪淫戒等を言い、'口輪とは口の戒律で不妄語戒、不綺語戎、不悪口戒、不両舌戎などと言い、意輪とは心の戒律で瞋恚戎、不貪欲戒へ不邪見戒等を言います。私は宗教家だから、かような戒律を守ろうとしてりんごを三つとりました」「お前のりんご三つはなかなか大変な意味が含めてあるのだネ。それでは妻に大根をやった意味はどうかネ」「これも仏の教に、大根大磯もろもろの菩薩を利益し六度百行首楞厳定を与う、いうことが書いてある。人には二十二根ある。私の所は代々女が跡取りで、私は男でも補佐役で女房のほうが教主になっている。それでお前は教主だから、すべての役員信者を大根大磯でよく利益してやらなならんという意味なのです。それからモウ一つ意味がある。私は小糠三合の口で出口すみの所へ入婿に来たのです。どこでも家の女房というものは権幕の強いもので、昔から、『何ぞやで杓子にあたる悪い嬶』という発句もあるくらいで、女房にあたられる亭主は嫌なものです。あの大根というものは、なんば喰べても腹が痛まぬ、当たらぬものです。私はロでは言えぬが女房に、この大根にあやかって、チトあたらぬようにしてくれ、という意味もあったのです。役者でも当たらぬ役者は大根役者と言います」「漫才みたようなこと言うナ・・・幹部十七、八名に親芋を一つずつやった意味は…」「芋というものは人の見ぬ土の中で子供をふやすものです。土の上に出ている葉は何時でも頭を下げて謙遜している。それで私は幹部に、お前たちは人に教を説き、人の模範にならねばならぬ人たちだから、この芋にあやかって人には腰低うゆき、人に見せるためでなく人に知れぬように徳を積み徳をほどこして行かねばならぬ、という意味でやったのです」「しかし、その芋をやる時に、外の者に食わしてほいかぬ、 一人で食べよと言ったそうじゃないか」「それはちょっとシャレたのです。古語では妻のことを吾味(わがいも)と言います。自分の女房を人に食わしたらいかんとシャレたわけです」死刑になるかならぬかの審理の真最中、冷たい法廷に春風の吹くような笑いが流れた。弁護士たちが裁判長室に入ると庄司裁判長が笑ってこう言った。「出口王仁三郎は、あれは当意即妙症だね」「法医学上そんな病気がありますかね」と応ずるともちろん今まではないけれども、そうでも命名しなかったらふつうではあの当意即妙な答弁はできないじゃないか」そのくせ百数十回のこんな審理をかさねたあげく、王仁三郎は無期懲役・全員重罪と何が何でも大本をこの世から抹殺したいのだ。といってそれでへコタレルような王仁三郎ではない。舞台は大阪控訴院に移って高野裁判長の出番となる。「王仁三郎、アノりんごと大根と芋の意味だがネ。アレに関するお前の答弁は京都の第一審の法廷における供述通りに当審でも聞いておいてよいのかネ」「裁判長、第一審で申しましたのはアレは出たらめです」「王仁三郎、お前今日は頭の調子が悪いのじゃないかネ。調子が悪いようならまた日を改めて調べてもよろしい。どうじゃ、今日は頭の調子が悪いのじゃろう」「検挙されてから足かけ六年ほどになりますが、その間、今日ぐらい頭の冷静なよい日はありません。今日のような日に是非調べてもらわんと損です」「今日はそんなに頭の調子がよいのか。それでは審理を続行することにするが、あわてて答弁せんでよいから、こちらの問うことを良く考えて答弁したらよかろう」「私は初めからよく考えて答弁しております。あわてているのは私の方ではありません」「それでは聞くが、りんごと大根と芋とは一体どんな意味があるのかネ」「あれは何の意味もありません。日本では神様のお祭りが済んだあとで直会というてお供物を分けるか、あるいはそれを調理してご馳走をいただくのが昔からの習慣です。私はその習慣にしたがってお供物を分けたのです。大本では私が一番にお下りをいただくことにしたのですが、お供物の中で何が一番よいかと見渡したら、私の好きなりんごがあったので、それをもらったのですが、りんごはどんなに工夫しても片手で三つ以上はつかめません。それで数が三つになったまでで別にむずかしい意味はありません。女房は台所をする者だから、大根ぐらいが性に合ってると思って大根をやったのです」「幹部に芋を一つずつやったのも、何の意味もないのか」「あれは意味はあります。幹部は私の部下ですから、これは平等に扱うておかんと差別ができると、あとで依怙贔屓をしたというて恨まれんなりません。恨まれたら損をするのはこの私じゃから、平等に数の揃うた物をと思って見たら親芋が沢山あった。これはカサも大きいから具合が良いと思って一つずつやったのです」「意味というのはそんなことなのか?」.「ハア」「それでは改めてお前に訊かねはならぬ。そんな大した意味もないりんごと大根と芋について、京都地方裁判所では随分御念の入った出たらめの答弁をしている。何が故に京都の一審では、あのような大根役者まで持ち出して念の入った出たらめを言わねばならなかったか、その訳を訊かねはならぬ。厳粛な法廷でジャラジャラした答弁は許されん」こうなっては絶体絶命、弁護人たちは青ざめ冷汗かいて王仁三郎の答弁を待った。「京都の裁判長はあないにでもいうてあげんと納得のいかん人です」と王仁三郎はすましている。裁判長も検事も弁護団も一瞬何が何だか、誰の裁判やらわけがわからず、ただ呆然と頭をかかえこんでしまったという。国家権力あげての不当なこじつけをさらりとはずした見事な一番であった。この高野裁判長の決断で秘密結社の疑いが晴れ、無罪に逆転するのである。「今度の事件はいも大根事件や。いもや大根にこじつけねば治安維持法違反に引っかけられなかったのだ」と王仁三郎は笑っている。『必然説』大本立教の精神である゛三千世界の立替え立直し゛ は、当時の天皇制絶対のワク内にちょこんと治まるような教えではない。しかも激しい宗教的情熱をもって手足を広げ、大きくはみ出してきたのだから、治安当局の弾圧は必然といえる。大本の本質は最初から権力の志向する方向とあいいれないのだ。弾圧の底から光りつづけた信仰の力こそ誇っていいものであろう。『経綸説』後に述べるように、大本事件と太平洋戦争の不可解なまでの一致は、それが゛型゛ の予告のうえに成るものだけに偶然とは考えられない。神の経綸といわねば理解できぬ面もある。型と認めるならば、王仁三郎はじめ多くの信者たちの血と忍耐と誠心からなる、あまりにも悲惨な型であった。大本七十年史の「神はかかる自己犠牲によって世界に型をしめ、人類に警告したとすれば、その神慮はいったいどこにあったのであろうか。ある人は、型は大本におこなわれ、その拡大が日本に起こり、ついで世界にうつるという。大本は弾圧されるという型によって、神道国家が弾圧され、選民をほこった国家民族主義が崩壊させられた。事件によって教団のなかにある偏狭・閉鎖的な思想の残滓が清算されたように、日本の国も、敗戦を経てはじめて国際性をもった民族国家としての門戸がひらかれるようになったと把握される。旧日本が新日本へ立替え立直しされる型として信仰的な理解がなされるのである」とする説もうなずける。『王仁三郎贖罪説』神の『経綸』として『必然』的に事件が起こったとして、それを予知していた王仁三郎はだまって時節を待っていたのだろうか。否、大本事件を誘発した張本人は彼、もしくは彼にかかるスサノオノ命というのが私個人の見解である。王仁三郎の行動を追っていけば、そうとしか考えられなくなる。まず、浅野和三郎らをして大正十年立替え説に狂奔させた「明治五十年を真中として…」(大本神歌の章参照)の裏の神諭(王仁三郎の筆先)にしても彼らの誤解にまかせてぎりぎりまで放置している。浅野の大本入りによって確かに教団は飛躍的発展をとげた。王仁三郎は浅野に縦横に腕をふるう舞台を与え、教団における彼の位置を急速に高めた。まもなく彼は《浅野和爾三郎(わにさぶろう)》のペンネ-ムを使用し始め、大本の中に゛ワニ三郎゛ が二人肩を並べる印象を与えたが、これは浅野の心の動きを如実に示している。明治五十五年に立替えられるのは、三千世界ではなくて大本自身だ。まず、゛型〞が出るのは大本、ひどい目に会うのは他人ではなく己れ、外ではない内。それと知りつつなぜ教えぬ。危険きわまる暴走を、その気ならばもっと早く防ぎ止められたのではなかったか。責任はかかって王仁三郎にあろう。このとき王仁三郎が見つめていたのは何か。己れにかかる神のしぐみではなかったか。…神の方はいつ何時にでもかかるから、いったん新聞を出しておかんと、新聞であらわれるということを、日本へだけなりと見せておかねは、神の役がすまんから…新聞屋をせりたててくだされよ。神はもうその方へみなかかるから、計画 (おもわく)とは早うなろうも知れんぞよ。明治三十三年から神は「大本の出現を新聞を通じ、せめて日本へだけなりと知らせよ」と命じる。丹波の田舎から『神霊界』をいかに出し続けても、その普及範囲はごくごく知れたものだ。立替え切迫の予言という非常手段を打って世間を騒がせれば、全国の新聞がせき立てられるように大本の悪口を書き出してくれよう。「悪く言われて良くなる経綸」と神はいう。王仁三郎には、そのうえ、迫りくる教祖なおの死が見えていた。信者たちの不安動揺をくい止めるには、足元に打ち寄せる危機意識こそ強い支えとなろう。信者たちの其の試練はその後にくる。王仁三郎は内を出て外に曳かれ、悪魔・地獄行きのニセ予言者と弾劾され、国賊と痛罵される。そのときこそ役員信者たちの誠と利己がきびしく立て分けられ、去るべき者は去っていこう。第一次大本事件によって、王仁三郎の思わくどおり大本は悪名を天下に馳せつつ脱皮して一まわりも二まわりも成長した。第二次大本事件では当局は早くからスパイを潜入させて大本内部の゛不敬゛ の材料を拾い出す。みずからを「尋仁(じんじん)」(天皇の御名・ひろひとと読める)・「岐美」・「大救主(おおきみ)」と呼ばせたり、昭和青年会・神聖会の査閲の際は「白馬」(天皇は白馬に乗る)に乗り「瑞垣の曲」を吹奏させ、旅行には天皇のろぼに擬して三角旗をなびかせた先駆後駆をつけ、祭典には天皇にまねて黄櫨染(こうろぜん)の斎服を使用し、信者にくばった湯呑みや家族の帯に菊花をあしらったとして起訴し、新聞でも騒ぎ立てて、国民に抜きがたい邪教感をうえつけていた。これらは事実をよく調べぬいいがかりで、たとえば当局は白馬というが王仁三郎の乗馬は葦毛であり、入蒙の際に乗った白馬は、蒙古では宗教者の乗馬として珍しくはない。「尋仁」は中国の道院の扶乩に現われた、いわば神示の道名であり、「岐美」・「大救主」は宗教的尊称だ。三角旗は京都乗馬クラブの会旗で、昭和青年会員が先導をつとめて立ったにすぎない。王仁三郎の斎服は濃い菜種茶色に十曜の紋(大本の神紋)と根引の松をあしらったもの。天皇の着用する黄櫨染(黄色を帯びた茶色で、紋は桐・竹・鳳凰)とはあきらかに違う。しかし黄櫨染については第一次事件でも問題になっており、当局をして誤解させる目ざわりな言動をあえてしているのも事実である。王仁三郎が当局の神経を刺激するような例証は他にもたくさんあるが、それを列挙する紙数はない。じゅうぶん苦い体験をかさねたはずの王仁三郎がなぜ…? 。その答えは大阪控訴院での高野裁判長とのやりとりにもう一度戻って考えよう。予審調書を否認する王仁三郎を裁判長は理屈で追求してなかなか許そうとしない。すると、王仁三郎が逆に反問した。「裁判長、 私の方からちょっとおたずねいたしたいのです。仏(教)の禅宗という宗派では問答ということをやっていますが、その問答の中に『人虎孔裡(じんここうり)に墜(お)つ』と言って一人の人間が虎の棲んでいる穴の中へ誤って落ちこんだと仮定して、その時その落ちこんだ人はどうしたらよいかという問答があります。裁判長、あなたはどうお考えになりますか」「私は法律家で宗教家でないからそんなことは分らぬ。お前は宗教家だから判っているだろうが、どういうことなのかね」「それは、人間より虎のほうが強いから、逃げようと後を見せるとすぐ跳びかかってきてかみ殺される。はむかっていったら、向こうが強いのだからくわえて振られたらもうそれきりです。じっとしていてもそのうち虎が腹がへってくるとごちそうさまとも言わずに食い殺されてしまう。どっちにしても助からないのです」「それはそうだろうね」「ところが一つだけ生きる道がある。それは何かというと食われてはだめだ。こちらから食わしてやらねはなりません。食われたら後には何も残らんが、自分のほうから食わしてやれば後には愛と誇りとが残る。その愛と誇りを残すのが、宗教家としての生きる道だというのがこの問答の狙いなんですよ」大本を弾圧した日本の官憲を虎にたとえ、大本ないし王仁三郎自身を虎穴に墜ちた人にたとえて、予審調書に署名捺印した事情と心境を説明している。この答弁はまた大本事件に対する王仁三郎の心境でもあったろう。天理教は、中山ミキを先頭に<高山> (官憲・天皇)に抵抗して、天変地異による世の終末と神の支配を予言したが、上層部は官憲との妥協をはかり、明治二十年代の反動期には天皇制の確立とその宗教利用政策に応じて大発展した。太平洋戦争の宗教統制でも教義の一部変更をして切り抜け、今日の大教団を維持している。宗教にとって教義は命である。大本が帝国憲法下において生きながらえるためには、゛三千世界の立替え立直し゛ を基調とする大本教義を改変する以外に道はない。しかしそれでは教団の体は残ろうが、大本の魂は抜かれてしまう。体主霊従的人造教に堕すくらいなら玉と砕けたほうがましだ。弾圧が必至とあらば胸を張ってこちらからぶち当たっていこう。そこに愛と誇りにみちた魂すら残れば、一握の灰からでも大本はよみがえる。不死鳥のように立ち上がるだろう。事件後、王仁三郎が小山昇弁護士にたずねている。「お前今度の大本事件の意義はわかっているか」「一向わかりません.実につまらぬ目にあわされたものでございますね」「そうじゃない。大事な神の経綸なのじゃ。この大本は、今度の戦争にぜんぜん関係がなかったという証拠を神がお残し下さったのじゃ。戦争の時には戦争に協力し、平和の時には平和を説くというような矛盾した宗教団体では、世界平和の礎にはならん。しかし日本が戦争している時に日本の土地に生まれた者が戦争に協力せぬでは、国家も社会も承知せぬ。それでは世界恒久平和という神の目的がつぶれますから戦争に協力できぬ処へお引き上げになったのが、今度の大本事件の一番大きな意義だ。これは大事なことだよ」戦後雨後の竹の子のように平和団体や宗教団体が生まれたが、 「戦中、戦争に協力しなかったのは大本と共産党だけだ」と世間から平和を語る資格を与えられた。王仁三郎の心にはちりほどの恨みもあとをとどめない。「警察が大本をいじめて金鵄勲章をもらって出世しているというのか。因縁のご用をさしてあるのや。悪の御用に神さまがお使いになっているのやから、あれだけ出世してもよいのである。善の御用と悪の御用を身魂の因縁でさせられているのやで」(『新月の影』より昭和二十年三月二十八日)小山昇弁護士は王仁三郎の談を『神の国』(昭和二十五年十月号)誌上に録している。「ある時聖師さまは次のように申されました。『今度の弾圧があったからこそよいのじゃ。弾圧がなかったら教団は腐ってしまう。温室の花ではだめじゃ。日蓮法難に逢わざりせば、日蓮宗の今日の広がりはなかったであろうし、キリスト十字架にかからなかったならばキリスト教は今日の大をなさなかったであろう』

 京都の倉田由松氏が昭和十三、四年頃中支軍の特務機関に勤務していた当時、頭山満翁にお逢いした際、翁は『百万の軍隊を支部へ送るより、出口さん一人に支那へ行ってもらった方が治まりが早い。なぜそこに目をつけぬのか』と言われたので、倉田氏も驚いて中支に帰る途中、山科の刑務所に出口聖師を訪ねて初めてお目にかかったそうです。その際、聖師さまは『大本はこれだよ、これだよ』と言って右手を握って前へ突き出し、二三度上下へ振って見せ『いらえはいらうほど大きくなるでな』と申されたので『全く呆れた親父だと思ったが、今から思えば偉大なお方じゃな』と述懐していました。聖師さまのお歌にもあります…。大本は野火の燃えたつ如くなり 風吹くたびにひろがりてゆく 艱難の 大なるあとは幸福の めぐみの花の大なるが咲く… (王仁)『わしがお前らにご神書を読め、霊界物語を拝読せよとロが酸っぱくなるほどいうたにかかわらず、本棚に飾っておくだけで誰も一向に読みよらん。それで神さまが、読まぬ本なら持たしておく必要はないと警察の手をかりてお取り上げになって焼いてしまわれたのじゃ。人間というものは妙なもので、手もとにある時は決して読みよらん。手もとになくなると一枚でも半頁でも恋しがって血眼になって読み出す。読めば初めて教えの尊さが分ってくるのじゃ。どうだ、お前たちもそのロじゃろう』

(小山)『今度の事件で検事が大本は宗教じゃないというから一体宗教とはどんなものかと初めて仏典やバイブルなどにも目を通すようになって、大本の教えと比較して見て初めて大変な教えであったという自覚がわきました』

(王仁)『そうじやろう。-今度のような事件でもおこらなかったら、誰も教えの真価を理解しはしない。当局から淫祠邪教だと攻めたてられるから淫祠邪教でない証拠を見せにゃならん。死物ぐるいで勉強せんならんように神さまから仕向けられたのじゃ。誰でもよい、一人に判れば万人に判る、一人に判らなかったら永久に土に埋もれてしまうからな』・・・(小山)『今度の事件では私たちは絶望して『聖師さまのご先途をどこまで見届けさして頂けるかぐらいの考えよりありませんでした』

(王仁) 『そうじやろう。これが人間わざであったら絶対に助かりようはないわい。しかし神さまのおしぐみだから、ついには屁のように解決してしまうのだ。神さまにおすがりしておれば間違いないという心ができたであろう…』

(王仁)『ありがたいことじゃ。あの建物(両聖地の建物)を残しておかれたら、むやみに税金がかかり、信者も税金支払いのためにどんな苦痛をなめなければならんか分らん。真正の宗教は人の心に灯火をつけていけばよいのじゃ。こんな時世に殿堂を持っていても、田にしの殻と同じことで厄介なだけで何にもなりはせん。いらん時には、神さまの方でチャンと取りこわして下さったのだ』

 (王仁)(両聖地の土地の没収と返還について)神さまはありがたいものじゃな。法的に見た

ら神苑の土地は暴力でもぎ取られたようなものだが、あれがあのようにもぎとられなかったら、実は困ることになったのだ。なぜかというと、毎年税金がかかる。なにしろ国賊にされて恐い事件をおこしているのじゃから、信者でも誰一人代って税金を払う者はありはしない。しまいには税金滞納で土地は公売にされる。公売されたらもう二度とわしの手に戻ってくることはあるまい。わしの使わん時には綾部・亀岡の両町が無税で預っていてくれたようなものだ。そして必要になったら向うから返してくれる。こんな都合のよいことはないじゃろ、ははは・・・・・・何事でも神さまに任しておけばこんな具合になるもんじゃ』

『大本は事件があってよかったのや。そうでないと宣撫班かなんぞに引っぱり出されているか、非国民呼ばわりされてさらに圧迫されている。戦争を応援していると戦争犯罪人で引っぱられるにきまっている。それで戦争以前に引っぼられ、戦争終結後に事件解決したのや。神さまのお仕組じゃ』(『木の花』昭和二十七年四月号・寛清澄録)

王仁三郎の言霊にかかれば、すべてよしでまるで国家が挙げて大本を擁護してくれていたみたいだ。王仁三郎が神の経綸を的確に読みとり、神と合体して事件が起こらざるを得ぬように仕向けていった。筆先でいう〞大化物″がまことであるならば、国を相手どっての仕掛人になるぐらいの腹芸はやったであろう。大本事件が王仁三郎のいうように神の経綸だとすれば、国家の威信にかけてすなわちスサノオノ命の経綸が裁かれたことになる。

そう思って二度にあたる大本事件をふり返るとき、『古事記』の「スサノオノ命の沸泣」

「スサノオノ命の昇天」、「天の安の河原の誓約」の各段が二重写しに浮かんでくるではないか。

スサノオノ命が「命()させし国(委任された国)を治らさずに八拳須(やつかひげ)心の前(さき)に至るまで啼きいさちき (大本の立替え立直しの絶叫)-- 「悪しき神の声は狭蝿如(さばえな)す皆満ち、万の物の妖悉(わざわい)に発りき(米騒動、スペイン風邪、第一次世界大戦など)」 そこでイザナギノ大神がお咎めになると、「僕()は妣(はは)の国、根の堅州国(かたすくに)に罷(まか)らむと思ふが故、哭くなり(出口なおの死)」。・・・イザナギノ大神はお怒りになって「然らば汝はこの国に住むべからず(入蒙)」と言い「すなわち神やらひにやらひき(第一次大本事件)

スサノオノ命は「然らばアマテラス大神に請(まか)して罷(まか)らむ(霊界物語口述)と言い、天に上るとき、「山川悉(ことごと)に動(とよ)み、国土皆震()りき(昭和神聖会運動の強烈なエネルギーと大衆の共感)、そこでアマテラス大神は驚き、「我が那勢(なせ)の命の上り来る由は、必ず善き心ならじ。我が国を奪はむと欲(おも)ふにこそあれ(国体変革の疑い)」と言い、武器をととのえ、「踏み建びて待ち問ひたまひしく(大げさな検挙準備)」「何故上り来つる(予審)」とアマテラス大神が詰問し、

「僕は邪(きたな)き心無し(無抵抗連行、調書捺印)」とスサノオノ命が弁解する。そこでスサノオノ命の潔白証明のために誓約(裁判)をすることになる。

王仁三郎は「今度はアマテラス大神とスサノオノ命の誓約であった。大本が政治運動をすると思われて、疑われたのである。高天原を奪いにくると疑われたのである…」(昭和十八年一月四日・木庭次守録)と語っている。

アマテラス大神とスサノオノ命がおのおの十拳剣と珠を交換(証拠書類)して「さがみにかみて吹き棄つる(弁論)」誓約は、三十余年前、なおと王仁三郎にかかる神霊同士の激しかった火水の戦いがここに再現された形で法廷における検事と弁護士の応酬にあたる。

王仁三郎は「さがみにかみて吹き棄つるとは弁論のことやで。さがみはかみわけることでそして吹くだろう」(昭和十七年・木庭次守録)と語っている。ついにアマテラス大神がたけだけしい五男神、スサノオノ命がやさしい三女神の魂を持っていることがわかり、潔白が証明される(第二審無罪判決)」。

誓約については一次・二次を一連のものと考えれば、第一次事件は出口なおの『筆先』、

第二次大本事件は王仁三郎の『霊界物語』が裁かれたともいえるから、第一次はアマテラス大神、第二次はスサノオノ命の誓約とも理解されよう。それはともかく、第二次大本事件の場合、国家の威信を代表する裁判所が十年の日数をついやし血眼になって大本教義を詮索研究し、死刑か無罪かの二者択一の審判の結果、国体変革の陰謀結社ではなかったというばかりか、「大本は宇宙観・神観・人生観に対し理路整然たる教義を持つ」と判決文でうたい上げたのだから、これほど明らかな証明はあるまい。

ただここから『古事記』と違ってくるのは、第二審で不敬罪だけが有罪となって残ったことであろう。それを王仁三郎は神の摂理と受けとり、 「もう誓約はすんだ。不敬罪は有罪だったので『吾勝てり』がなかった。あなたたちは五十猛だ」(昭和十七年十一月十六日・木庭録)といましめている。勝ちさびにゆき過ぎて神代のあやまちをくりかえさぬよう心くばる王仁三郎なのだ。

 王仁三郎は人類の贖い主としての己の使命をつねに自覚していたふしがある。いちばん傷みを受けるのは王仁三郎自身であるはずだ。にもかかわらず彼は贖い主としてみずから十字架にかからんがために、当局をして大本を事件の対象とせずにはおかぬ方向へと誘発したのではなかったろうか。それがまた同時に神の経綸でもあったといえるであろう。