出口なおの昇天

 

 大正六年も暮れる頃、出口なおは信者の梅田安子に語りかけている。「来年は直日さん(王仁三郎の長女・大本三代教主)が十七になるさかい・・・三代が十七の時には世をゆずるのやと神さまがおっしゃるでなあ。そう思うときなはれよ、お安さん」「また何のことどっLやろ」ふに落ちぬ安子のためになおは説明する。「古うなった着物はほころびを縫い破れはつづくろうて着せてもろうてます。けどつぎはぎもきかんようになったらいっぺん脱いで着がえんなりまへんやろ。人間の体も同じこと、わたしはこそっと直日のおなかへ入るでなあ。それでもお安さん、先生の御用は今度だけ一代限りで天へ帰られる。天のみろくさまの身代わりはもうないのやで。二代の世は短い。二代の御用ではこの世はまだあかん。わたしは三代と共に生きるのや。覚えといておくれなされ」大正七年正月一日、出口家や役員信者たちが揃って元旦を祝った席で、王仁三郎は安子に耳打ちした。「お安さん、教祖はんのお体は今年中や。びっくりすなよ」安子の体が震えた。抗議したくても満座の前である。なおも、すみもすぐ脇でにこやかに箸を動かしている。こわばる視線をふり向けると王仁三郎はもう席を立っていた。「唐土(とうど)の鳥(盗土・国を盗む外国の飛行機)が、今に日本に渡りてくるぞよ。毒を空から降らして日本の人民を絶やす仕組を昔からいたしておることが、よく神には分かりておるから、ながらく知らしたのでありたぞよ」(大正六年旧十一月二十三日)過去二十五年間、筆先はくどいほど日本の危機をくり返してきた。それも大正七年七月二十五日(旧六月十六日)まで。なおは最後の筆先をしたためると、王仁三郎に手渡した。「これより知らせることはもうないから、このうえは人民の心で神徳をとるのざぞよ。もう知らせることはないぞよ。綾部の大本の信神は、われのことは思わずと、初発から神に心をまかしてしもうて…うぶの心に心をもちかえて神心になりておるとうなにごとも神力で思うようにいき出すから、汚い心を放り出して大河へ流してしまうがよいぞよ。大出口なお八十三歳のおりのおん筆先であるぞよ。善と悪のかわりめのおりぞよ」なおの笑みに淋しさがまじる。「筆先はもう書かいでもよいと神さまが言われますのや。立替えの筆先は終わった。あとの立直しは先生のお役目、わたしのご用もすんだような」なおの天に召される時が迫っている。なおも王仁三郎もそれを予知している。雑多な階級、雑多な思想の持主たちを包含しつつ急速に膨張してきた大本は、ただ教祖出口なおの存在によってのみ結束が保たれていた。なおの生存中に立替えがおこり、王仁三郎によって立直されるものと彼らは信じている。なおの昇天は、大本が四分五裂する危険に直面する時でもあった。第一次世界大戦を契機に、空前の大戦景気を招来した.輸出が急増し、世界有数の資本主義国に発展した日本には成金は続出するが、貧民もまた激増した。物価は高騰しても賃金の伸びは追いつかぬ。国は富んで民は飢えに泣いた。大正七年七月二十三日、米価のあまりの急上昇にたまりかね「飢えて死ぬより監獄へ」と米屋へ押しかける越中女一揆が報ぜられる。米騒動は飛火してやがては全国民運動に発展し、労働者・農民を主力とする大衆が米屋・富豪邸・警察などを襲撃、これらの新聞記事は差止められ軍隊が鎮圧に出動する事態に至る。同じ頃、マドリッドから起こったスペイン風邪は世界的に広まって、日本での死者三十九万人と報ぜられる。この異常なとき王仁三郎はみずから宣言して心身の大修被のため七十五日間の床縛りの行に入った。八月十八日(旧七月十二日)、王仁三郎四十八歳の誕生日から始まって十月三十一日で終わるはずである。九月になると大本は海軍将校に混じって陸軍色が際立っている。福知山、篠山、福岡、伊勢、松山などの連隊から大佐中佐連が部下を引率してザクザクとやってくる。東京から台湾から神戸から実力のある新聞人、実業家、貴族、軍人らが一家をあげて移住してくる。のちの生長の家総裁谷口雅春が『神霊界』編集に加わるのもこの月であった。しかし、行中の王仁三郎は面会謝絶、行の半ば頃から本格的な苦しみが襲ってきて、高熱を発しのたうち廻る。『神霊界』十月一日号の「編集室より」には、「出口教主の御病気(床縛りの行)は神界の御都合で七十五日間といふことになって居りますから、十月の末には全快される筈です.無論十一月三日の秋季大祭には祭紀を司られることでせう」と日を切って発表している。七十五日の行の上がりには王仁三郎は予告どおり床を上げた。この日、すみはなおに呼ばれて教祖室へ行く。「お前に言いおきたいことがあるのや。わたしは明治二十五年から大神さまの言われることを一遍もそむかずお筆先を書かしてもろうた。お筆先にはこの世の一切のことが書いてある。これからは女子(王仁三郎)さまが人民に分かるように説いて下さるお役じゃ。なかなかご苦労なお役じゃからお前は先生(王仁三郎) に腹立てさせぬようにしとくれなされよ」「そんなこと言うちゃっても、あんなやんちゃ者、へイへイハイハイ言うとったらなにしでかすやら…」なおの顔はきびしく改まった。「お前はわたしを肉体の親じゃと思うて口答えしなさるが、わたしが言うのではない、神さまが言わせなさるのじゃで。神さまの言われることは我を出さずに素直に聞きなされ。神さまのお経輪はなあ、この世の始まりから後にも先にもないどえらいことができるのじゃげな。『神界の一厘の仕組は人に言うことはできぬ。なおにも言えぬ。この経綸を言うてやりたら、なおでも気違いになるぞ』と神さまはおっしゃる。『大本のことは、外から判けに来る何事も時節じゃ。時節には神もかなわぬ。経綸が成就してからああ、このことでありたかと分かるのじゃ』とお言いなさる。お前は我を折って先生に従えばよいのじゃ」十一月三日、秋の大祭が執行され予告どおりに王仁三郎が斉主をつとめた。なおは「そなたは式に出いでもよいと神さまが申し下さるゆえ休ませてもらいます」と言って式典には参列しなかった。十一月五日の夕拝も、なおは休んだ。「神さまがなあ、今日はわたしにお礼をせいでもよいと言いなさる。明日から代わりに先生がなされます…」従来どんなことがあっても礼拝を代行させたことのないなおであった。五日の深夜から翌朝にかけて、本官山・和知川を中心に陸軍の大演習があった。六日朝の七時頃、金竜海の辺での激しい鉄砲の音を開きながらなおの三女福島ひさは炭をつぎに教祖室へ行った。「はばかりながら、お水をおくれなされ」ひさが湯呑みに水を運んでくると、なおはうまそうに飲み干しもう一杯所望する。二杯目も半分まで飲んだ。水でさえ「もったいない」と言ってむさぼらずほんののどを、湿らす程度のなおであるのに。ひさが驚いて言う。「教祖さん、えらいことお水をいただかれますなあ」「はい。えっとのどが乾いていたので、大変おいしかったわいな。神さまのお恵みを心ゆくまでいただいて、もったいないことじゃった」「足をおさすりしますさかい、どうぞ横になっとくなはれ」「おおきに。その前に手水に行かせてもらおうかいな」ひさがなおの手を引いて厠に供した。このとき、ひっきりなしに聞こえていた鉄砲の音がやんだ。攻撃軍が敗退し防衛軍が本宮山で勝利を占めた瞬間であった。廊下を戻る途中、なおは空(から)えずきし、ひさの腕にもたれかかるとみる間にくずれ折れた。急を聞いて王仁三郎、すみ、直日、役員信者らが駈けつける。あまり楽そうな顔なので王仁三郎を除いては、これが教祖の臨終の姿と悟った者は誰一人いなかった。「きっと艮の金神さまがちょっとのあいだ、肉体からお出ましになったのじゃ。そのうちお帰りになるじゃろ」と誰かが仔細ありげ言うと、みなが素直に納得した。これまでもこれに似た状態がときどきあり、「神さまがいろんな所へ連れて行って下さる。居ながら諸国漫遊をさしてもろてます」となおは嬉しげに語っていたのだ。立替えの起こる前になおが昇天するはずがない。ともかく艮の金神さんに早くお戻り願はねは不安である。昏睡のなおを囲んで祝詞の声が湧き上がった。午後になると王仁三郎はしぶる役員たちの尻をたたいて、各地に「教祖危篤」の電報を打たせた。なお昇天の模様は、『神霊界』の教祖号や『星田悦子日記』にくわしい。なおは六日午後十時三十分、静かに安らかに息を引いていった。享年八十三歳。その苦難の生涯にふさわしく、天保の大飢饉のさなか、悪病の猖獗した天保七年(一八三六)に生をうけ、米騒動とスペイン感冒に動乱する大正七年(一九一八)に没したことも、奇しき因縁というべきか。王仁三郎の部屋から犬の遠吠え式の泣き声が流れてくる。何が何でも泣く気なのだろう。このときの王仁三郎の泣きぶりは、のちのちまでも語り草になるくらいだった。急に襖があいて、すみが立ちはだかった。大の字に畳に伏して号泣中の王仁三郎を見下ろし、激しい調子でどなりつける。「この男、なにしとるんじゃいな。そんなどこかいななした男やい、この男は…」王仁三郎はびくっとして坐り直し、涙と水鼻でだらしなく汚した顔をしゃくり上げる。「もうとまらへんわい、おすみ。泣かしてくれやい」「ど阿呆が。先生が立ち上がらんでこの大本はどないする気じゃ」すみの勢いに押されて立ち上がると、女房を押しのけ、大股で教祖室へ出て行く王仁三郎であった。なおの死が教団に与えた混乱ははかり知れぬほど大きい。しかしやがてなおの死も神の大きな経綸の一段階であることが理解されてくる。「種まきて、苗が立ちたら出てゆくぞよ。刈込みになりたら手柄さして元へもどすぞよ」「ほのぼのと出てゆけば心さむしく思うなよ。力になる人が用意してあるぞよ」 この筆先の一節一節が、信者たちの胸に深くしみ通った.なおの昇天した十一月六日のこの日、五年にわたる世界の戦が実質上矛をおさめた日となった。まるでその朝の本宮山攻防戦がそのひな型を演じてくれたように。五年間ドンドンガンガン騒ぎ散らした欧州戦場が急に鳴物を禁止したのは、なおの死に対して世界が謹慎哀悼の意を表したかのごとくである。昇天の五日後の十一日、ドイツと連合国の休戦協定が調印され、第一次世界大戦はおわる。『神霊界』十一月十一日号の「編集室より」に「世界の悪神の首領は露国の王を捨ててカイゼル(ドイツ皇帝)に憑って荒び廻っておりましたが、過ぐる三日(次号で十一月一日と訂正)からウイルソン(米大統領)に憑りました、と今後の世界情勢を示唆する記事が掲載された。十二月二日は王仁三郎に艮の金神の神懸りがあり、次の筆先が出された。「旧十月三日、新の十一月六日の五ツ時、神界の経綸が成就いたして、今度の世界の大戦争を一寸止めさせておいて、その晩の四ツ時(十時三十分)に天からのお迎えで、出口直は若姫岐美命(わかひめぎみのみこと)の御魂とひきそうて天へ上りたぞよ。これからは天の様子も明白に判り出すぞよ。出口なおの御魂は木花咲耶姫殿の宿りた身魂の三代直日にうつりて直霊主命となりて地の神界の御用を致さす経綸が成就いたしたから、これからの大本の中はこれまでとは大変りがいたすぞよ」