一葉落ちて知る天下の秋

 この神歌の発表によって浅野和三郎はいっそう確信を深めたであろう。「…竜虎相打つ戊の午の年より本舞台 いよいよ初段と相成れば 西伯利亜線を花道と…」戊の午の年は大正七年、しかもシベリア出兵がいまや国民の関心の焦点である。十一月七日の十月革命によってロシアにソヴィエト政権が樹立され、日・英・米・仏はその直後から革命に干渉し始めた。日本にとっては、北隣に社会主義国が生まれたのだ。浅野の質問に王仁三郎は「近いうちにシべリア出兵があります」と言下に答えたが、そのときこそ、「西伯利亜線を花道に」の初段であり、続いて二段目の幕があき、三段目を招く。明治五十五年立替えの予言は一憑霊の言ではなく、大本神諭なのだ。大本信者として大本神諭を信ぜずしていったい何を信じよというのか。しかも大本神歌によって裏打ちされている.」大正十年といえば教祖八十六歳、これ以上延びては教祖生存中に立替えができぬではないか。王仁三郎の立場で立替えの時期を明かせぬとあれば、証文の出しおくれとならぬために誰かが代わって発表せねばなるまい。それも教団の相当の役職の者の言でなければ、証文の価値もなくなる。自分が十字架を負おう。万々一誤ったときには浅野の放言とすれば大本にも王仁三郎にも直接の責めはかかるまい。殉教者の悲憤な覚悟であった。その第一声は、大正七年六月末、浅野、友清天行らによって出雲神歌の発祥の地゛松江゛講演で発せられる。敵に向かって宣戦布告でもやってのける激越な調子に聴衆は呆然自失。数人の新聞記者がかけ込んで「浅野さん、あなたは正気か」と詰め寄ると「ともかくあと千日余で立替えがくるのさ。書くならせいぜい今のうちだよ、君」と言い放ったという。浅野の危機意識は、つかまえどころのない王仁三郎を除いて大本全部のものであった。『神霊界』だけではあきたらず、大正六年十二月には旬刊紙『綾部新開』(一部一銭・郵税五厘)を創刊、全国の市町村役場や学校関係、実業関係などの各方面に毎号贈呈を続けた。大正七年二月には皇道普及会を創立、無料配布の財源を引き継ぐが、信者や有志の寄附の求めに応じる共鳴者は多かった。さらに『神霊界』も三月から半月刊に改められ、文書による猛烈な全国的キャンペ-ンが展開される。国内外の不安な情勢を背景として大本の叫びは思想的に動揺する国民各層の間に浸透の輪をひろげていく。明治五十五年立替え説の文書による第一弾は、『綾部新開』大正七年八月号である。「一葉落ちて知る天下の秋」の大見出し、 「゛世界立替の日は愈々迫る゛…゛次の世界はドンナ世界乎゛…」の小見出しで激しい警告が全紙面を埋める。(次項の傍点は原文では太字)「戦ひの来るのは戦ひ来るの日に来るのではない。事の成るは成るの日に成るのでないのと同様であります。暑くなった今が夏の真っ盛りだと思ふ時には、すでに地底には秋の気が旺んに張り裂けるばかりに満ち充て居るのであります。明日も太陽は東から出るから明日も平和であらう、今年も平和であったから明年も先づこんなものであろう、無論活きた世の中だから多少の変動はあらうけれど、大体に於て先づこんなものであらうとは百人の中の九十九人がそう思って居る処であります。普通の人間から言へは天災地変、又人間社会の一波乱に過ぎないと思ってるで有りませうが、世の中に偶然の出来事なるものは一つもありませぬ。善い事にあれ悪い事にあれ何れも皆ことごと神慮の発現ならざるはありませぬ。ここに於てか昔の人でも少し気の利いた連中は『一葉落ちて知る天下の秋』なぞと云って、煙の立つを見てすでに火のあることを悟りました。

 今や何千年来の御計画実現の時節が到来して、因縁の身魂たる出口開祖にかかられいよいよこの悪の世を善一筋の世に立替へる大経給に着手されたのであります。所謂建設の前の破壊で、この現状世界が木っ端に打ち砕かれる時期が眼前に迫りました。それはこの欧州戦争に引続いておこる日本対世界の戦争を機会として、所謂天災地変も同時に起こり世界の大洗濯が行われるので、この大洗濯には死すべきものが死し、生くべきものが生くるので一人のまぐれ死も一人のまぐれ助かりも無いのであります。それなら日本対世界の戦争はいつから始まるかというと、それは今から僅か一ヶ年経つか経たぬ間に端を啓きます。皇道大本の云ったことで千百中只の一つも毛筋の巾ほども間違ったことはありませぬ。日清戦争も日露戦争もこの度の欧州戦争も、みな大本神の世界立替の準備行為のようなものでありまして、したがってその計画実行の中府=神と人との集合所たる皇道大本ではいずれも明治二十五年から分明に前知されてあったのみならず'、事情の許す限り、堂々と前もって発表してあります。この度の欧州戦争は実に突発的に起こったもので、その一日前まではこのような騒動が起ころうとは誰一人夢想もする人はなかったが、皇道大本教主出口王仁三郎先生はその約一ヶ月前に公開の席上で、今すぐ世界的大戦争が欧州に起こるということを発表されてしまわれました。去る六月二十五日から七月九日まで松江・米子、鳥取方面を巡講された皇本大本の浅野総務は、至る所で日本のシベリア出兵は最近に決定するという事を言明して歩かれたので、知識階級の頑迷な部分に属する連中は、当時の政界の模様から観測して、そんな馬鹿なことがあるものかと嘲笑してゐたが、それから十数日を経過すると出兵決定の号外が出た。綾部の皇道大本は世界の鏡で、何も彼も世界のことが大本へ反映ることになって居りますので、大本内部を見ているだけでも少しは解るはずです。この頃いろいろ重要にして最も神聖なる使命を有する建築物等が相次いで竣工せんとしてをりますが、大本では不必要な時機に不必要なものは一つもできませぬから、世界に何かのことがよほど迫ってきた事が分かりましょう。もう少し突っこんで書いて知らせて上げたいけれど、それは出来ませぬ。神さまの目が光って居ります。この節しきりに米が高いと愚痴を並べてをりますが、まだこれどころではありませぬ。今から半年もすればウンと高くなります。いよいよ日本対世界の戦争になって、少し日が経って難局に陥りますと、一昨年の露国ぐらいなことではありませぬ。露都で米が一升が二円もすると云って驚いたけれどもいよいよとなると日本は小さい嶋国でありますから経済界の神経は一層過敏で、日本が絶対の孤立となりますと一升二円出しても十円出しても米は買ふことが出きぬようになります。その時は政府は非常手段を講じて、名義はどう云ふ風にしても事実上食糧品の私有を許さず、一切国家が直接に保管して配給する様な政策を執るのでありませうが、もって経済社会の混乱は想像することができませう。武器の如きも無論不足欠乏しますから、寺院の釣鐘も鋳潰されるし、民間では五寸釘の折れまで取り上げられる事になり、老若界女を問はずどうかこうか動けるものは挙って国防の事に当らなければならぬようになります。桑を植えて養蚕をして居ても、生糸なぞは買手がなくなります。本当を言えば今は猫の額ほどの土地にも七草でも何でも食糧品を植付けてそれを数年を保存し得る様に澱粉にでも製造して置くべき時なのです。 (中略)救ひか滅びか、貴下はその最後の岐れ道に立って居られます。.繰返して申します。時期は日に日に刻々と切迫して参りました。もう抜き差しならぬところまで参りました。眼の醒める人は今のうちに醒めて頂かねはなりませぬ。日の経つのは夢のようですが、今から一千日ばかりの間にそれらの総ての騒動が起って、そして解決して静まって大正十二年頃はこの世界は暴風雨の後のような静かな世になって、生き残った人達が神勅のまにまに新理想世界の経営に着手している時であります。続いて王仁三郎の説く大正維新論が展開される。一刻も早く綾部にきて大神業に参加するよう呼びかけ、「今日に於て貴下に最も必要なるものは只決心の二字であります」と結ぶ。編集担当の友清天行の筆であった。王仁三郎は「脅迫宗教はいかん」とつねづね言っていたが、全文脅迫的言辞に満ちている。友清は『大本神歌』や『いろは歌』、王仁三郎の断片的に洩らす言葉を「明治五十年を真中として・・・」の神諭の時期にまぜ合わせてこの大胆な文章とした。実現の時期こそ大幅にずれるが、太平洋戦争末期の日本の現状そのままであろう。この記事の掲載された『綾部新聞』は各地で申しこみが続出して品切れ、異例の増刷刊行となる。そのうえ論稿は大正七年十二月に「神と人との世界改造運動」と改題されて出版、翌年四月までの間に七版をかさねている。執筆者 友清天行自身はこの後一年足らずで大本を去り、のちに新興宗教゛神道天行居゛ の教祖におさまるのだが・・・-。大本は全教団あげて危険な断崖に驀進していく。それらの切迫した空気を知らぬげに王仁三郎は呑気な顔であった。