スサノオノ命に罪を被せていいのか

スサノオノ命が天のみろく神…? 大方の読者には納得してくれというほうが無理であろう。゛記・紀神話゛ のスサノオノ命は天の岩戸閉めのおりに述べたように、父神に地上を追われたうえ、皇祖神であるアマテラス大神に抵抗し高天原で乱暴を働く。ついには常闇の世を招くに至って万神の怒りをかい、高天原からも追放される悪神なのである。しかし大本では長い審神をへたのちに、スサノオノ命こそ瑞の御霊の救世主神であり゛贖い主゛ であるとの確信をつかんで信仰し敬慕するに至った。これは明治政府の宗教政策により作為された神道系宗教には見られない神観である。なぜ大本ばかりは世間のいう悪神崇神を信ずるのか。なおにかかる鬼門の艮の金神ばかりか、王仁三郎にかかるスサノオノ命まで。もう一度恐縮ながら『古事記』をふり返っていただきたい。高天原を追われて出雲国に降ったスサノオノ命はどうしたことか突如、詩的で英雄的な神に変神する。無能で女女(めめ)しくただ手をつかねて泣くばかりかと思えば乱暴狂乱、なにひとつ取柄のなかった神が、ここではヤマタの大蛇を退治してクシナダ姫を助け、大蛇の尾から出た名刀をアマテラス大神に献上するのだ。勇気凛々、すぐれた知謀、果断な処置、自分を追放した姉君へさらりと向ける崇敬の志。それに出雲の地に須賀の宮を建て、妻を得た喜びを「八雲立つ、出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」と(吾妻=日本のこと…後述)妻への思いを美しい歌に託す詩情。いったいどちらのスサノオノ命が実像なのか。年を経て、スサノオノ命が、根の堅州国(かたすくに)に住んでいた時はどうだったであろう。八十(やそ)神という悪逆無道の兄妹を持つオオクニヌシノミコトが救いを求めてその祖であるスサノオノ命のもとへ逃げこむ。ところが、スサノオノ命の娘、スセリヒメと恋におちたオオクニヌシノ命をスサノオノ命は蛇の室、 むかでと蜂の室、野火の中などに入れて試す。が、ヒメや野ねずみの助けを得てオオクニヌシノ命は無事切りぬける。あげくに彼はヒメと共謀して寝ているスサノオノ命の髪を垂木に結びつけ、大岩で戸をふさいで、スサノオノ命の政治的支配力・宗教的支配力を象徴した生太刀・生弓矢と天の詔琴(のりごと(をぬすみ出し、スセリヒメを背負って逃げ出してしまう。天の詔琴の音に驚き、気づいて結びつけられた髪を解かし、ヨモツヒラ坂まで追い至ったスサノオノ命は、遠く逃がれゆく二人を望んで何と叫んだであろうか。「そのお前が持って出た生大刀・生弓矢で八十神どもを追い放ち、国の支配者となって、わが娘のスセリヒメを正妻とし、宇迦の山に立派な宮殿をつくって住めよ、こやつめよ!」   髪の中に無数のむかでを飼っておくような、みるも恐ろしげなスサノオノ命、その婿を試す方法はいかにも荒っぽいが、けれど最後のせりふにこもる深い情愛はどうであろう。かわいい娘と生命ともいうべき宝をぬすみ逃げした男に対して、「こいつめ」と.投げる一言に無限のいとおしみがあふれているではないか。数々の試練をくぐり抜け自分をあざむく男ではあるが、その間にちゃんとこの男の資質を審神し、娘との愛をもたしかめ、その未来まで授けて祝福してやるという何とゆういきとどいた男であろうか。ここでも姉神アマテラス大神に向けたと同じ自分への仕打ちに対する、恨みも怒りも持たぬ深いひろやかな愛を感じてしまうのは、私のひいき目なのであろうか。スサノオノ命は、世間ではいまだに゛罪人゛である。高天原での重い罪はまだ晴れぬまま、神やらいにやらわれて根底の国に追放されたままだ。もしスサノオノ命の犯した罪状を法廷に持ち出したとしたら、裁判官はどんな判決を下すだろう。スサノオノ命にかぶせられた神代以来の汚名をそそぎ、天と地を治むべき姉神と弟神の間を引き裂く心のしこりを解きほぐすことができたら…不肖ながら私は弁護士となり、王仁三郎のスサノオノ命観にもとづいて所信をのべてみたいと思う。まずスサノオノ命が告訴されねばならぬ罪状は次の三つであろう。一 父イザナギノ大神よりゆだねられた地上世界を統治できぬばかりか、投げ出して母の国へ行きたいと弱音を吐き、父神を激怒させた罪。二 天の安河原での誓約で身の潔白が明かされたとき、「われ勝ちぬ」と叫びアマテラス大神の営田(みつくた)の畦をこわし、溝を埋め、その年の新にいなえ)をいただく神聖な御殿に糞をまき散らしたりの、狼籍(ろうぜき)の限りを尽くした罪。三 忌み服屋の棟に登って大きな穴をあけ、そこから天の斑馬を逆はぎにはいで落とし入れ、'織女の一人を死なせ、アマテラス大神の岩戸ごもりの直接原因を作った罪。さて、第一と第二の罪については王仁三郎が生前すでに弁護に立っている。〔第一の罪〕 神命を受けたスサノオノ命が地に降ったとき、地上は手がつけられぬばかりに乱れていた.もともと軽い清浄なものは天になり、重く濁ったものが沈んで積みかさなり地をつくったのであるから、その成り立ちがすでに体的にでき上がっている。当然肉体をもつ地上人類の体的欲望は激しい。霊的性能が体的性能に打ち克つための、すなわち霊主体従のスサノオノ命の神教など、どんなに血を吐くほどに叫んでも、体主霊従になり切った人々には通じない。悪盛んにして天に勝つ。地上神界ですら、すでに国常立命の威霊は艮に退隠され、天地の律法は名ばかりの世であった。治まる時には治めずとも治まるが、治まらぬ時にはどんな神が出ても治まらぬ。スサノオノ命は父イザナギノ大神のお咎めに対して一言の弁明もせず、地上人類の暴逆や不心得をも訴えず、罪を一身にかぶって黙って引退する覚悟であった。咎めるイザナギノ大神もスサノオノ命の苦衷を察せられぬはずがない。しかし地上人類を傷つけまいとされる命の誠を汲みとられて、ご自分もまた怒ったふりをなされる。今、自分の子一人に罰を与え罪人としたならば、地上人類も、悪かったと気づいてくれよう。改心してくれよう…その悲願を込め、涙をのんで大神は貴の御子を地上から追放されたのであると。〔第二の罪〕 スサノオノ命は地上を追われて母の住む根の堅州国に去るにあたって、姉アマテラス大神に別れを告げるべく、高天原へ上った。地上は統治者を失ってたいへんな騒ぎとなった。その報せに、これはただごとではないと驚かれたアマテラス大神は「高天原を奪りにくるのであろう」と疑い、武備をととのえ待ち受けられる。そこでスサノオノ命は、ご自分の心の潔白を明かして姉君のあらぬ疑いを晴らすために、天の安河原で誓約の神事をなさる。その結果、たけだけしい五人の男神の霊性であったアマテラス大神に比べて、スサノオノ命の霊性はやさしく美しい三人の女神であると知れる。これで高天原を奪ろうというさもしい心などなかったことが証明された。このあとスサノオノ命は勝ちさびに例の乱暴を働き、第二の罪を作ったことになっている。王仁三郎の解釈によれば、それらの乱暴は地上から従ってきたスサノオノ命の部下たちが、あらぬ疑いをかけられた無念を、だまってがまんしきれずに命の深い心も察せず引きおこしてしまった集団行為だという. 〔第三の罪〕それにしても天の斑駒を逆はぎにはいで落としたのは明らかにスサノオノ命自身である。こればかりは何としても弁護の余地はなさそうに思える。安河原の誓約では確かにやさしい三女神の魂を持っていたはずのスサノオノ命が、なぜそんなわけのわからぬ行為に出たのか。その矛盾がひっかかってならない。そこで念を入れて犯罪現場に戻り推理してみよう。トンカラリ、トントンカラリトンカラリ--  高天原の中でも神聖な御殿である忌服屋では、今日も織女たちが神にささげる御衣を織っている。よこ糸の動きを目でとらえながら、アマテラス大神のご胸中は穏やかなものではなかったであろう。清浄であるべきこの高天原でさえ、しだいに体主霊従的に濁りつつあるこの頃である。何とか美しく立て直さねばならぬ天地の経綸の重責が、かかってご自分にある。否々、それよりも現実に降りかかる悩みで今は胸がいっぱいのはず。弟君スサノオノ命の度はずれたいたずらに対する神々の訴えが日とともに激しくなってくるのだ。父大神に捨てられ地上を追放されて、高天原へいとま乞いにやってきたというこの暴れ者の弟の心を何ともはかりかねた。いったんは雄々しく戦いの準備までしながら、あの安河原でのみたま調べの誓約以来、ひどく気弱くなって弟の罪さえ裁けずにいる。そのとき、御殿の屋根がこわされて、その穴から、何やら大きな火のかたまりのようなものがドドドッと落ちてきた。逃げまどう織女たちの絶叫。倒れ伏し死ぬ織女。何とその天井の穴からのぞき見ているのは、わが弟スサノオノ命の憎さげな髭面ではないか。あまりのことに思慮を失ったアマテラス大神は、御殿を走り出たまま、天の岩屋戸に閉じこもってしまう。これによって高天原は常闇の世となりはて、荒ぶる神々はここぞと騒ぎまわり、禍という禍がことごとに起こった。それからは筆先の指摘する謀略的岩戸開きである。長鳴き鳥を鳴かしめて、日の出を思わせ、アメノウズメノ命のヌードダンスで神々に笑いどよませる。自分より立派な神があらわれたのかと疑ったアマテラス大神が戸を細めに開け、鏡にうつる自分の光を見て驚く。そこをアマノタヂカラオノ命の怪腕で引出してしまう。まるでアマテラス大神の日頃のお疑い深さ、嫉妬深さをみこして万神謀議の末、まんまとわなにかけ成功しましたといった図ではないか。これが高天原随一の知恵者オモイカネノ神の出ししぼった知恵だというのか。何と幼推な… そう思ったとき、逆にふっと胸のあたたまる心地がした。この物質世界でこそ、人間は有史以来悪知恵を研ぎすまさねばならなかった。この程度の策略にころっとだまさて出てこられるアマテラス大神のいっそ愛らしい無垢のお心…。

     天の岩戸開き以前の高天原はそうしたうそやいつありも知らぬ清い世界…とすれば、この天界に芽生えた邪気のはじまりは何か。一方的に被害者とされている天界の司神アマテラス大神には全く非はなかったろうか。もし私が検事側に立つならば、むしろ姉君のアマテラス大神をこそ三つの罪で告発することを許していただきたい。〔第一の罪〕お別れの挨拶がしたいという弟神の心を察せず、ただ真向から高天原を奪りに来たと疑って待ちかまえた罪。天界と地上は合せ鏡というではないか。手のつけられぬ地上の乱れの原因を知り、その立て直しの方策を考えるのに一度高天原を見たかった。父神にはいえなかったもろもろもろの悩みや相談など姉神には打ちあけたかった・・・そう思いやることだってできたはずであろうに。今日でも疑いが、大は国際間から小は家庭の中まで、どれほど多くの紛争の種をまいていることか。それを高天原の主宰神であられるアマテラス大神がまず犯されたことは重大である。〔第二の罪〕その疑いの解決をまっさきに武力に求めようとした罪である。この過失は今日なお尾をひいている。二度にわたる世界大戦や幾多の愚かな戦争のくり返しは、人類をどれほど不幸におとしいれてきたことか。さいわいスサノオノ命の言霊と誓約によって危うく天界と地上軍の武力衝突こそ避けられたが--。〔第三の罪〕これも見方によってはより重罪である。誓約によって弟神の潔白が明らかになったとき、姉神は激しく後悔されたであろう。だからスサノオノ命の部下たちが乱暴しても、今度はしきりに弁護しようとする。「神殿に糞をしたといって騒ぐけれど、あれはきっと酒に酔って何か吐き散らしたまでのことでしょう。田の畦や溝をこわしたというのも耕せば田となる土地をいらぬ畦や溝しておくのは惜しいと思ってのことでしょう。いとしいわが弟のことですから…」

厳然として天地の律法を守らねはならぬ高天原の司神が、天則違反を犯す天下の大罪人(部下の罪は主人の罪という意味で)をいとしい弟君というだけでかばってはならなかった。それでは天地の神々へのしめしもつかず律法は内側から崩れていこう。だからこそ父神イザナギノ大神は涙をのんで貴の子を地の世界から追放されたというのに。スサノオノ命は姉神が自分をかばえばかばうほど苦しまれたであろう。姉神をその重大な過失から救い、部下たちの天つ罪をつぐなって、しかも傷ついた律法の尊厳を守る手だては・・・かりにスサノオノ命が「部下の罪は私の罪です。姉上、どうか私を罰してださい」とまともに申し出ても理性を失っていられる女神は聞かれまい。スサノオノ命のとるべき道はただ一つ。ともかく姉ぎみの面前でのっぴきならぬお怒りを買うため、あえて悪どい残虐な行為に出る。万神の怒りをスサノオノ命ただ一神にふりかえて処断させるように仕向ける・・・それしかないではないか。ところがアマテラス大神は、しょせんは女神。スサノオノ命の深い志を察して罰を与えるゆとりすらなく、司神としての天職も誇りも投げすてて岩戸の内へ逃げ入ってしまわれたのだ。王仁三郎がなぜスサノオノ命の第一・第二の罪は弁護しながら、かんじんの岩戸ごもりの原因である第三の罪にはふれなかったのか。ふれようとすれば非をアマテラス大神に向けねばならない。皇室の祖神である日の大神に-。だから王仁三郎は沈黙を守ったのではなかったか。みずから悪神の仮面をかぶり、千座の置戸を負って怒れる神々にひげをむしられ手足の爪まで抜かれて高天原から追放されるスサノオノ命。その想像は国祖国常立命の御退隠とかさなって何がまことの善なのか悪なのかを、この世の根元にまで逆のぼって問い直したくなる。姉神の罪を含めた万神と、地上人類の罪のあがない主として甘んじて処刑を受けられた男らしく崇高なスサノオノ命こそ、筆先の明かす救世主・みろくの大神にふさわしい御神格ではないであろうか。